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能登半島地震特集

「やっぱり手伝って」 災害ボランティア、県が方針転換

一階部分が押しつぶされた民家から衣類を運び出す住民=26日、石川県輪島市門前町で

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 能登半島地震発生から2日目を迎えた被災地では、余震が続く中、いまも2千人を超える人が避難所生活を強いられている。そんな折に物議を醸したのが、ボランティアの扱い。石川県は当初、混乱を防ぐ意味からボランティアの現地入りに自粛を求めていたが、26日に方向転換し、受け入れ態勢の準備を始めた。阪神大震災以来、災害地復興の大きな力となってきたボランティアだが、定着には、まだ時間がかかるのか。 (橋本誠、山川剛史)

◆医療スタッフ本格始動 清掃、お風呂…要望続々

 震災から一夜明けた26日の輪島市門前町地区。すでに十数人のボランティアが到着していた。

 中越地震でできた「あかつきボランティアネットワーク」(本部・東京)の小林直樹さん(32)は、たまたま復興イベントで訪れていた新潟県小千谷市から車で駆けつけたという。

 石川県はホームページで「被害状況を問い合わせ、ボランティアによる支援活動の要望があるか調査中。ボランティアを希望される方々は、しばらく現地へ向かわれることを見合わせて」と、“ボランティア自粛”を呼び掛けていた。

 理由は「現地に災害対策コーディネーターを派遣しているが、どんな需要があるのかようやく把握できたばかりで、受け入れ態勢が整うにはまだ一両日かかる」と同県災害対策ボランティア本部。

 小林さんも「行政の対応としては、仕方がないんじゃないですか。能登は道も狭いし、本格的に受け入れるには駐車場なども確保しなければならないし」。

 それでも「ボランティアは手伝いに来ただけで励ましになる。お年寄りを定期的に訪問し、話を聞いてあげるだけでもいい」と考えたという。来てみて感じたのは「(地域のコミュニティーが強く)自分たちで何でもやってしまうところは、中越地震のときと似ている」ということ。だが、やはり人の助けは必要だ。

 避難所では、医療スタッフの診断が本格化した。

 門前西小学校の体育館に泊まった板谷一枝さん(57)は「朝からお医者さんや看護師さんが来て、血圧を測ってくれた」。孤立した集落から漁船で脱出し、やっとたどり着いたが、余震はこの日も続き、昼すぎには、傾いていた近くの民家が崩壊した。「いつまで続くかねえ。ゆうべは(余震が)5分おきやった。全然眠れんかった」とうつむいた。

 門前町地区の2005年の65歳以上の高齢化率は県内最高の44・9%。全国平均20・1%をはるかに上回る。それだけに避難所生活は体にきつい。

 市の門前総合支所の救護本部では、各地の医療機関から訪れたスタッフが分担を決定。「被災者の不安と不眠、気分をよく聞いてほしい。子どもの場合は食欲とすがりつきにも注意を」「トイレが整備されていないので高齢者が水を控え、脱水で脳こうそくやエコノミークラス症候群になりやすい。十分水分を取り、体を動かすようにさせてほしい」などと注意点が挙げられた。

◆お年寄り介護、人手が必要

 医師、看護師など十数人を派遣した恵寿総合病院(七尾市)の神野正博院長(51)は「最初は『外傷より、血圧や腹痛、ぜんそくの薬が不足している』と要請があった。昼ころからは、睡眠薬や下痢止めなど、お年寄りに多い症状の薬を運んだ」。風邪薬や消炎鎮痛剤、うがい薬を求める声も出ている。避難所には「インフルエンザがはやる可能性があるので、手洗い、うがいを」と張り紙が出た。こうした、お年寄りの介護には人手がいる。

 ほかにもボランティアに頼らざるをえない部分がある。要望が多いのは、傾いた家や散乱した家具の片づけだ。

 被災者約500人が泊まった諸岡公民館で、町会長らと倒壊家屋の片づけ方などを話し合った泉靖郎さん(73)は「いずれ掃除と落下物の片づけにボランティアに入ってもらわんといかん」と話す。

 つぶれた家の前で耐震診断の判定士を待っていた木嶋峯子さん(76)は「必要なのは仮設住宅。家は、にわかにどうにもならん。町営住宅か県営住宅を造ってほしい」と話した。

 「今は着の身着のままでもいいが、あと何日かしたら、お風呂も必要」という声もあった。

 県は、こうした要望を受け、28日にボランティアの窓口を開設することにした。

◆食料や宿泊先、自己調達のルール浸透

 日本でのボランティア活動は、1995年の阪神大震災が「ボランティア元年」とされ、97年に福井県沖で起きたナホトカ号重油流出事故でほぼ根付いたとされる。しかし熱意に燃えるボランティアと行政の間には、まだ温度差がある。

 25日に救急チームなどを派遣した兵庫県は「阪神大震災の時は、初めての経験で、避難者が30万人もいて、いくらボランティアがいても足りなかった。しかし、今回は家屋の危険度判定やお年寄りの心のケアなど現地ニーズの専門性が高く、受け入れ側としては、ボランティアが二次災害に遭うのが怖い」(防災企画課)と石川県の立場を代弁する。

 2004年の集中豪雨を経験した隣の福井県も「石川ではニーズの把握が大変だったようで、最初に受け入れが難しいといったのは理解できる」(男女参画・県民活動課)と話す。

 内閣府は災害ボランティア希望者向けのサイトで、「ボランティアは自己完結が大前提。被災地の負担にならず、間違っても自分が助けられる側にならない」「現地への電話の問い合わせは、現地の人と回線の負担になる」「現地ボランティアセンターの指示のもとで行動し、勝手に戸別訪問することは避けて」などボランティアの“禁じ手”集を掲載。民間の活動にもルールを求める。

 確かに、過去には被災地に救援物資として生ものが送られ、腐って現地の負担を増やしてしまった例や、「ボランティアから『なぜ宿泊先を用意してもらえないのか』と言われたり、各地から人が集まりすぎて交通渋滞が起きたりしたこともある」(福井県)と、ボランティアに必ずしもいい印象を抱いていない自治体担当者もいる。

 ただ、ボランティア側からすると、04年の中越地震や福井豪雨など全国各地での活動を経験してきており、自分たちの食料や宿泊先などは自分で確保するのは当然のルールとして浸透しているのも事実だ。

 阪神大震災を機に設立され、各地で支援を続けてきた「被災地NGO恊働センター」の村井雅清代表(56)は「ボランティアが集中すると混乱すると言われがちだが、それほど大した問題なのか。多少の混乱はつきものだが、命令一下動くのをボランティアというのか疑問。個人の多様性を生かした方がいい活動になるのでは」と、行政管理型には疑問を投げかける。

 その上で、神戸での体験を基に、行政など公的組織には少し違った観点からのアプローチを求める。

 「災害復旧が一段落してくると、地元の病院や飲食店から、医師の支援や炊き出しに対して『商売のじゃま』という意識が出てきがちで、仕切る人・機関にはその間を積極的に埋めてほしい。家屋修復でも建築士などプロとボランティアの共同化が進めば、もっと活動は充実してくる」

【デスクメモ】

 15年ほど前に被災地で2人の若者に出会った。「力になりたいけど、どこへ行ったらいいのか」と途方に暮れていた。ともかく救援物資の集配所に連れて行くと、地元の人の手伝いができたらしい。後で礼状が来たので恐縮した。あの2人はどうしているのかな。災害救援のベテランになっていたりして。 (充)

 

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