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長野

憲法の岐路(下)

2017年10月20日 紙面から

◆男女平等起草 ベアテさん知って

 憲法で男女平等などの草案を書き、亡くなって五年になる米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんがかつて訪れていた別荘が軽井沢町にある。大正時代の作家有島武郎が最期を遂げたことで知られる「浄月庵」。現在カフェとして開放されるが、ベアテさんの展示などはなく、地元の関心も高くない。ベアテさん一家を知る関係者は「ベアテさんの足跡を多くの人に知ってほしい」と願っている。

 「ここにベッドがあった。母が寝ていました」。ベアテさんは一九九九年五月、浄月庵を訪れた。最初は「印象が違う」と首をかしげていたが、部屋を何度も行き来するうち、若き日の記憶がよみがえってきたようだった。案内した軽井沢町の中島松樹(まつき)さん(83)は「感激のあまり涙を流していた」と振り返る。

 浄月庵は有島の別荘で、心中で世を去った後、青年会館になった。太平洋戦争中は外国人の強制疎開先となり、ベアテさんの父でピアニストのレオさんと母が住んだ。ベアテさんも東京に住んでいた五〜十五歳の時、避暑のため夏は軽井沢町の別の別荘を訪れていた。米国の大学に進んだ後に太平洋戦争が勃発。連絡が取れなくなった両親と会うため、戦後に連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフに応募。四五年十二月に来日してレオさんと東京で再会を果たし、栄養失調で体調を崩して浄月庵のベッドで休む母とも会った。

 現在のカフェ店主の男性は「ベアテさんのことはほとんど知らない。尋ねる客もいない」と話す。二階では有島の原稿や詩などが紹介されるが、ベアテさんの展示はない。管理する軽井沢高原文庫の大藤敏行副館長(54)は「軽井沢ゆかりの文学を紹介する施設。あくまで有島の別荘として公開している」と説明する。

 ベアテさんが起草した憲法を左右する衆院選の投開票が二十二日に迫るが、憲法を守るため活動を続ける軽井沢九条の会でも「ベアテさんが話題になることはほとんどない」(事務局の丸山清江さん)という。

 メンバーの一人で金属工芸家の寺山光広さん(69)は「両親が日本にいなければ、ベアテさんが憲法に関わることもなかった」と昨年春に訪れた。父レオさんと交流のあった作家の故芹沢光治良の四女岡玲子さんは「姉がレオさんにピアノを習っていた。ベアテさんが憲法に男女平等を起草したのは、レオさんの弟子の日本人女性の置かれる状況を見てきたからだと思う。地元の人には関心を持ってもらい、ベアテさんの思いを学んでほしい」と話した。

 (高橋信)

 <ベアテ・シロタ・ゴードン> ウクライナ出身のユダヤ人ピアニスト、レオ・シロタの長女として1923年にウィーンで生まれた。29年、反ユダヤ主義が広がりを見せる欧州を離れ、東京音楽学校(現東京芸術大)に赴任する父に連れられ一家で日本に移住。15歳で米カリフォルニア州の大学に留学した。戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の要員に応募して来日。憲法起草に携わり、男女平等など人権に関する条項を書いた。47年の帰国後もたびたび来日し、憲法で担った自身の役割を各地で講演した。2012年12月に亡くなった。

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