長野
2017年10月15日 紙面から
(上から届け出順)
八月に死去した羽田孜元首相の後継として二〇一二年に初当選したが、前回は落選。「議員バッジを着けずに羽田先生をお見送りしたことが、一番つらかった」。選挙区を変えてでも国政に復帰すると決意した。
大学卒業後、東京で会社員生活を送っていたが、父親が体調を崩し帰郷。羽田元首相の秘書を経て、県議を二十二年近く務めた。小学生のころ病弱でいじめられた体験から「人の心の痛みが分かる政治家になろうと誓った。政治とは、弱いところに目を向けることが大事」。信条は今も揺らいでいない。
落選後も「これで終わったら師の志を引き継げない」と週二、三回街頭演説するなど活動を続けてきた。楽しみは妻との温泉旅行。立科町芦田。
「みんなは一人のために、一人はみんなのために」。中学時代の恩師の言葉を人生の基軸とし「自分一人だけの幸福などあり得ない」と信じる。
教員を目指し信州大教育学部へ進学。学生運動などを通じ世の中の矛盾に触れ、二十一歳で入党した。小学校教諭を経て岡谷市議、県議に。仕事の傍ら、生活相談会を月一回、開いてきた。多重債務で自殺を考えた母娘や長時間労働、不登校など困難を抱える人たちに寄り添いともに解決策を考えてきた。
憲法九条と立憲主義が今、危機にひんしているとみる。「本気でやらないと勝てない」と任期半ばで県議を辞し、市民と野党の共闘での勝利を目指す。
宮崎駿監督と芥川龍之介のファン。岡谷市今井。
「責任のある政治、政策の実行」が口癖だ。党内では政務調査副会長、税制調査会の幹部会メンバーなど多分野の要職を任され、今選挙の党公約「人づくり革命」も自身が中心となって練り上げたと胸を張る。
東京都出身。国のために働きたいと大蔵官僚になったが「社会の構造的な問題を解決するには法律に手を入れなければ」と政治家に転身した。民主党公認で初当選し、一期目途中に自民党へ。「党内では保守改革派の中堅の旗頭と思っている」
好きな言葉は「一燈照隅(いっとうしょうぐう) 万燈照国(ばんとうしょうこく)」。「暗闇の中の一つの燈(ともしび)は周りを勇気付け、万の数になれば国中が明るくなる。最初の一燈をかざしたい」。趣味は書道とクラシックなどの音楽鑑賞。諏訪市湖岸通り。