三重
2017年10月17日 紙面から
「今、私たちを突き動かしているのはフクシマ後の現実です。福島第一原発の片付けさえできていない。原発の再稼働を進める人々は、次の大事故を招き寄せているようにしか見えない」
衆院選の公示を翌日に控えた九日の津市。シンポジウム「熊野原発を止めた町」の開会あいさつで、柴原洋一さん(64)=伊勢市辻久留町=が百三十人の聴衆に訴えかけた。市民団体「原発おことわり三重の会」の問題意識を伝えるスピーチだった。
二〇一一年三月十一日の東日本大震災から六年半が過ぎた今、福島の原発事故が忘れられていると感じている。鹿児島県の川内原発と福井県の高浜原発で四基の原子炉が稼働する。自民党は原子力を「重要なベースロード電源」と位置付け、政府が再稼働を容認する流れがある。
一九六〇〜二〇〇〇年代、三重県南部の熊野灘に面した地域は、中部電力によって原発立地の候補地になっていた。南伊勢町と大紀町にまたがる芦浜(あしはま)、紀北町の城ノ浜(じょうのはま)と大白浜(おおじろはま)、熊野市の井内浦(いちうら)−の四カ所は、具体的に名前が挙がったことがある。
そして、いずれも住民の反対運動で建設されなかった。芦浜原発の計画に対しては、一九九六年に県民八十一万人の反対署名が集まり、当時の北川正恭知事に提出された。運動の中心になったのは、海の恵みで生活する漁業者や地域住民たちだ。「暮らしを奪うな」。強い思いが、電力会社や国を追い返してきた。
元高校教諭で芦浜の反対運動にも携わった柴原さん。今は福島第一原発の事故を受けて伊勢市などに自主避難してきた家族らの支援を続けている。県内に原発はないが、福島の事故を防ぐことができなかったことに対し「私の人生はカスみたいなものだった」と自責の思いがあるからだ。柴原さんは、避難者に米などを届け、生活の苦しさを聞くたびに原発事故の罪深さを思い起こす。
今回の衆院選。県内でも候補者が原発問題に触れる場面は少ない。「原発を衆院選の争点にするべきだ」と訴える柴原さん。こう投げかける。「三重県には原発政策を考える材料がある。歴史に学ばなければいけない」
(大島康介、安永陽祐)
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衆院選の投開票が二十二日に迫った。県内でも各候補者らが盛んに政策などを訴えているが、争点とされるべき課題に関わる現場で生きる人たちは何を思い、何を望んでいるのか。その「切なる願い」を追った。