三重
2017年8月4日 紙面から
民進党に続き自民党も衆議院の新小選挙区の候補予定者が決まった。自民で新1区(津、松阪市)から出馬する田村憲久氏(52)は、区割り変更に伴い、津市中心部が初めて選挙区になる。閣僚を経験し知名度は高いが、自民には逆風が吹く中、既に津市内に新事務所を構えて選挙態勢づくりを急いでいる。
−加計学園問題をきっかけに、内閣支持率が急落した
国民にとって非常にわかりづらい。次から次へ内部文書が出てきて、それに対して、しっかりした説明ができず信頼を失った。
本質は規制改革の話だったのが、文書を隠した、出したという話に変わってしまった。本質に戻すべきだ。森友学園と加計は違う。規制改革として必要だと国家戦略特区諮問会議が判断した。加計は約十年、獣医学部に手を挙げ続け、京産大よりノウハウがある。
私はこんなさまつなことを安倍晋三首相が直接指示したとは思わない。指示したらもっと早く決まっていた。ただ、安倍さんの仲のいい方が最終的に学校の設置許可を得るのだから、もっと慎重に進めるべきだった。
−安倍政権は今後どうすべきか?
これまでも自民党が強いんじゃなくて、他に選ぶ党がないから強く見えていただけ。安倍政権は雇用の面では成果が出ている。有効求人倍率も非常に高い。ただ、稲田朋美防衛相の辞任についても安倍さんには任命責任がある。内閣改造で若干支持率は上がるだろうが、安倍さんに対する「嫌な感じ」は簡単にはなくならない。政権は改憲を無理に進めるのではなく、外交や経済に集中するべきだ。
−田村さんは石破茂氏に近い
総裁選までは政権を支える。安倍おろしはしない。私は石破派だから、石破さんのチャンスと言われることもあるが、この件で安倍さんの支持率が落ちるのはもったいない。
−自民党県連会長として挑んだ昨夏の参院選は敗北した。三重は例外的に民進が強い
自民候補の票数は一九八六年以来の四十万票超えだった。ただ、民進、共産の連合が他県よりうまくいって、民進の票にそのまま共産の票が乗ってしまった。だが北勢も「民主王国」から変わってきた。参院選は共産票がなければ、四日市、鈴鹿も互角。民進は共産の力を借りざるを得ない。後先考えず、当時の岡田克也代表の下で共闘したのだろう。
−厚生労働相を務め、政策通として党内で頭角を現している
厚生労働に長く関わっており、政策決定に参画することは多いが、政治家はいろんなことに政策のウイングを広げないといけない。自分の中では大臣をやる前と変わらない。
−新区割りでは1区しかなかった?
松阪市でずっとやってきたから当然1区を希望した。私は中学校は津市で、電車通学をし、津駅前で遊んでいた。サラリーマンの時も津にいて、地元という意識だ。
−津市の印象は?
県庁所在地に何もかも集まっている県が多いが、三重は四日市、鈴鹿、松阪、伊勢と分散している。津は慌ただしさがない、落ち着いた文化都市だ。
ただ、旧津市の真ん中は官庁街で選挙がやりづらいと聞く。松阪は既にある後援会を中心に動く。津市は大変だが、これから後援会をつくる。旧4区も一部は津市で、経済人、文化人などさまざまな方と付き合いはある。
−津、松阪の課題は?
中勢バイパス整備はほぼ終わった。港湾海岸整備はまだやらないといけない。河川は、雨の降り方が変わって、いくつかの川は水があふれる恐れがある。やることはたくさんある。
(森耕一)