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石川

立候補者の志を聞く 1区

2017年10月12日 紙面から

 なぜ政治家を志したのか。二十二日投開票の衆院選で、県内の三小選挙区から立候補している十人に聞いた。石川1区から紹介する。=届け出順

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自民前職 馳浩さん(56)

教育とは何か追求

 「この人に話をしても無駄だと思われたら政治家は終わりだよね」。国会議員としての二十二年のキャリア。壁をつくらず向き合おうとする性格は変わらない。

 原点は、自ら感じた教育のあり方。中学生の時、学校で起こった放火事件。背景に生徒の受験ノイローゼがあった。教養、決断力、表現力、コミュニケーション能力を身につけるべきなのに、何のための教育なのか。「日本の教育は間違ってる」。教諭となり、文部科学相まで上り詰め、常に「学力とは何なのかを理解してもらいたかった」と話す。

 議員として独自の色も濃い。議員立法を二十五本余り成立させ「議員立法の馳と与野党から認められている」と自負する。一九九九年のダイオキシン類対策特別措置法制定の際は野党、関係省庁、業界との調整をまとめた。対北朝鮮政策などに加え、アンチ・ドーピング対策法の制定などさらに意欲を示す。

 過労死等防止対策推進法を手掛けたが、対策は進んでいるのか。衆院解散後は前回選同様、地元のさまざまな職場を体験したのもそんな思いがある。

 「作業は何時まで?」「中学生か。偉いな」。日の出前から始まる大根農家では、家族総出で働く人たちと汗を流した。昼まで続く作業、それでも黒字にするには厳しい現実。現場で知った実情に「感謝の気持ちしかない」。朝の散歩と体を鍛える時間をそれぞれ毎日一時間もつくり、その活力につなげている。 (並木智子)

メモ

 ▽政治信条 「子を育て 妻をいたわり 親守ろう 世界平和は家庭から」 人としての基本ができてこそ▽尊敬する政治家 森喜朗元首相。ご指導くださる方がいないと、安きに流れたりしてしまう

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共産新人 黒崎清則さん(69)

住民の苦難を軽く

 七尾市の郊外で育ち、羽咋工業高校を卒業後、一九六六年に東京都職員に。「公務員は住民目線で働くもの」との意識が強かった。労働組合の活動に加わり、次第に高度経済成長で広がる貧富の格差に関心が膨らんだ。「もっと深く、住民の苦難軽減に取り組みたい」。七三年、退職して共産党に入った。

 八七年から県内に戻り、能登や金沢の地区で党役員を歴任した。金沢市長選や衆院選などに計五回出馬。いずれも落選したが、「政治家を目指すというより、人々の暮らしをよくするための活動の一環」。今回も「権力の私物化を進める政権を続けさせるわけにはいかない」と出馬を決めた。

 最優先課題に据えるのは社会保障の充実。政権の経済政策「アベノミクス」で経済格差は拡大したとし、ワーキングプアや非正規労働、介護保険や年金制度の改善を訴える。

 「少し大ざっぱな性格。よく言えば動じないんです」と自身を分析する。希望の党の設立で野党間では混乱が続くが、「長い目で見ればじたばたする必要はないんです」。ぶれない姿勢を有権者に示すことが大切だと感じている。

 先日、突然事務所に若い男性が訪れた。「小選挙区で共産党に投票したことはなかったけど、今回は」と、機関紙を購入して帰っていった。信頼してくれる人がいる。そう実感し、また活力が湧いた。来年には七十歳。気力は十分だ。「前進のため全力を尽くす」 (太田理英子)

メモ

 ▽政治信条 「一人は皆のために、皆は一人のために」。社会的弱者に寄り添うことが大切だからこそ▽尊敬する政治家 共産党元議長の故宮本顕治さん。獄中でも反戦平和を貫いた姿に感銘を受けた

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希望元職 田中美絵子さん(41)

命大切にする政治

 人生で一番、生活が苦しかったのは、憧れだった大手旅行会社の添乗員として働いていた時だった。大手旅行会社と言っても派遣社員。朝早くから晩まで働いて一日七千円。雇用、社会保険も入っていない。

 初めての添乗先は富士山。登山の経験もなく、ぶっつけ本番。同じように登った同期入社の女性の半数は「つらい」といって辞めていった。打ち合わせをしていて急に倒れた同僚もいた。生活を切り詰めていたため栄養失調だった。「派遣社員は使い捨てか」と憤った。

 当時、住んでいたのは築五十年のアパート。時々、水道が止まり、さびた茶色の水が出た。目の前にそびえ立つのは六本木ヒルズ。国会議員も住んでいると聞いた。「こんな苦しいのに助けてくれない」。同時に「だったら自分で変えるしかない」。政治家になろうと決意した。

 二〇〇八年十月に東京都内の病院が妊婦の受け入れを拒否し、妊婦が亡くなったことがあった。国の制度の欠陥で命が奪われたように感じ、命を大切にする政治をしようと胸に刻んだ。

 〇九年の政権交代選挙で衆院議員になり、乳がん末期患者から新薬の保険適用の要望を受けた。「力になりたい」。その一心で駆け回り、半年で保険適用を実現。「政治で救える命がある」と実感した。

 「志ある政治家が命を大切にする政治をやってくれたらいいんです。今の政治は弱い人を救っていない」 (蓮野亜耶)

メモ

 ▽政治信条 命を救う政治▽尊敬する政治家 秘書で仕えた平田健二・元参院議長と河村たかし名古屋市長。「公用車を使わない、議員宿舎に住まない」という河村さんのポリシーに賛同する

主な政党の公約

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