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岐阜

<候補者の横顔> 5区

2017年10月18日 紙面から

(上から届け出順)

◆スキーや登山も全力 阿知波吉信さん(54)希元

 陶磁器の産地、土岐市駄知町で窯元の息子として育った。一九八五年のプラザ合意の影響で、陶磁器産業が一気に競争力を失ったのを目の当たりにし「個人の力には限界がある。国が一生懸命やらないと、人の幸せは実現できない」と感じ、官僚の道へ進んだ。

 政治家を目指すきっかけは9・11。総務省などをへて米国の首都ワシントンの研究所に出向中、中枢同時テロに遭った。自国を立て直そうと米国民一人一人が立ち上がった姿に感銘を受け「自分で国をつくってみよう」と立候補を決意した。

 趣味は旅行先でのスキーや山登り。「二年前、家族四人でスキーを楽しんでいた時ものすごく派手に転んだ。腕とか肩は今も痛い」と苦笑い。やんちゃな一面ものぞかせる。

 妻と息子二人の四人暮らし。楽しみは子どもの成長。座右の銘は「一生懸命」。「五回目の挑戦。総決算という意気込みで臨みたい」と力強い。

 (篠塚辰徳)

(1)選挙区内でお気に入りの場所は?

(2)生まれる前の過去に行けるとしたら、いつ、どこで何をしたい?

(3)関ケ原で有名な岐阜。自身を戦国時代の人物に例えると?

(1)土岐市駄知町。自分が生まれ育った故郷だから。

(2)旧石器時代ならどこでも。人類の歴史のスタート時点で、平和な世界づくりにチャレンジしたい。

(3)徳川家康。「鳴かぬなら…」の句のように、勝つまで待とうホトトギス!の精神だから。

◆休みの日に映画観賞 小関祥子さん(64)共新

 「母たちの声を届けたい」が政治信条。七期二十七年六カ月務めた土岐市議時代は、延長保育など子育て支援の充実を訴えた。

 同市駄知町で実家は食堂だった。地元の土岐商に入学。演劇部の部長として、演者から大道具までこなした。「みんなで協力して成し遂げる楽しさを知った」。今も休みの日には映画を見に行くのが楽しみの一つだ。

 十九歳のころ、「働く者が大切にされる社会をつくりたい」と共産党に入党。勤務先の鉄工所では労働組合を立ち上げ、書記長として労働環境や待遇の改善に尽くしてきた。

 会社員だった夫(68)との間に三人の息子がいる。三男(32)は母親と同じ政治の道に進み、土岐市議の一期目。「ありがたいけど、大変な仕事だから」と思いやる。

 若年層を中心に広がる長時間労働やサービス残業にも異議を唱える。「働き盛りの子を持つ母の声を今度は国政に届ける」

 (斎藤航輝)

(1)選挙区内でお気に入りの場所は?

(2)生まれる前の過去に行けるとしたら、いつ、どこで何をしたい?

(3)関ケ原で有名な岐阜。自身を戦国時代の人物に例えると?

(1)土岐市の「どんぶり会館」から見える御嶽山。若いころスキーに行った、思い出の地だから。

(2)大正時代の東京。女性解放運動の先駆けとなった文芸雑誌「青鞜(せいとう)」の発行に参加したい。

(3)「女城主」の井伊直虎。領民を隠れ里に逃がし、命を守ったから。

◆早朝に楽器練習励む 古屋圭司さん(64)自前

 三十七歳で初当選。以来、立候補は今回で十回目となる。「選挙を真剣にやるという思いは一回目から全く変わらない。公約を実行するのは使命という気持ちは、当選回数を重ねる度に強くなる」と受け止める。

 二〇一二〜一四年に国家公安委員長と拉致問題、国土強靱(きょうじん)化、防災の担当相を務めた。今夏までの一年間は党四役の選対委員長に就き、一〜二期目の若手国会議員を指導した。「選挙に勝つことは党の安定に最も大切。選挙、政策、政局の『3S』に強い政治家を育てようと取り組んだ」と振り返る。

 大卒後、大手保険会社に勤務。政治を志すきっかけは、戦前に衆院議員を務めた祖父の故慶隆さんの存在。地域住民から「立派な先生だった」と聞いて、思いを強めた。

 趣味はクラリネットの演奏。最近は午前五時に起床して練習に励む。オーケストラと一緒に演奏を収録したCDも制作しているほどだ。

 (吉岡雅幸)

(1)選挙区内でお気に入りの場所は?

(2)生まれる前の過去に行けるとしたら、いつ、どこで何をしたい?

(3)関ケ原で有名な岐阜。自身を戦国時代の人物に例えると?

(1)西部の陶磁器文化・東部の自然と歴史的遺産。いずれも自慢できる宝物。

(2)戦前の日本。戦争を回避したい。

(3)前田利家。性格が似ているから。

主な政党の公約

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