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岐阜

<候補者の横顔> 4区

2017年10月17日 紙面から

(上から届け出順)

◆剣道教士七段の腕前 今井雅人さん(55)希前

 下呂市で教員の父、小さな縫製工場を営む母の元で育った。「やんちゃだった。野山を駆け、基地をつくって遊んだ」と幼少期を振り返る。高校進学まで故郷で過ごした。

 大学卒業後は銀行に勤め、投資情報会社を立ち上げた。「全責任を背負い、三年ほどは寝ずに働いた」。この経験から「何かを作り上げる努力をして成長した人が、政治を担うのが理想だ」と語る。

 二〇〇八年、民主党から出馬の打診を受けた。三度断った後、自民党政治への問題意識から立候補を決意。保守王国とも呼ばれる岐阜県を「変えたい」との思いがあった。

 「当選後の八年間、地元に一週間戻らなかったことは一度もない」と話す。地元密着の活動が身上だが、家族の存在も大きい。家では三歳と五歳のまな娘のパパ。「目に入れても痛くない。もっと遊ぶ時間があれば」

 剣道は教士七段の腕前。「逃げずに何事も正面から向かい、相手を尊重することを学んだ」

 (神谷慶)

◆候補者アンケート

(1)選挙区内でお気に入りの場所は?

(2)生まれる前の過去に行けるとしたら、いつ、どこで何をしたい?

(3)関ケ原で有名な岐阜。自身を戦国時代の人物に例えると?

(1)自宅。家族と一緒にいると、ホッとする。

(2)昭和初期の日本。第2次世界大戦を止める。

(3)黒田官兵衛。戦略を練って実行するのが得意だから。

◆人形劇団のプロ役者 籠山恵美子さん(63)共新

 造形美術が好きで人形に興味を持ち、高校卒業後、生まれ育った福島県から上京。憧れていた人形劇団に入り、二年間の養成期間を経て人形を操るプロの役者に。「子どもを驚かせ、喜ばせるのが楽しかった」。二十歳から十一年間、公演で全国を飛び回った。

 二十五歳で劇団員の夫と結婚。夫の転職で一九八七年、旧国府町(現高山市国府町)に移住した。その時、世話になった共産党町議の人柄にほれて入党。当時は近くに未満児を受け入れる保育園は無かった。間もなく移った旧古川町(現飛騨市古川町)で「造る運動をしよう」と町議に立候補。町議と飛騨市議を合わせ七期二十七年、地方議員を務めた。自宅で住民の生活相談も受け「暮らしの問題を解決するのは議員の仕事」と痛感した。

 夫は六年前、死去。娘二人も独立し今は一人暮らし。一人で食事せざるを得ない子ども向けに夏から自宅で食堂を始めた。「子どもたちの未来を明るくしたい」

 (浜崎陽介)

◆候補者アンケート

(1)選挙区内でお気に入りの場所は?

(2)生まれる前の過去に行けるとしたら、いつ、どこで何をしたい?

(3)関ケ原で有名な岐阜。自身を戦国時代の人物に例えると?

(1)天生(あもう)湿原の籾糠(もみぬか)山、山之村の天蓋(てんがい)山。山歩きをしているから。

(2)明治時代の東京。文化の薫りする黎明期に音楽をかけながら喫茶店を営みたい。

(3)特にない。歴史を支えてきた名もなき人々に心寄せる。

◆子どもが心の癒やし 金子俊平さん(39)自新

 国土交通相などを歴任し、政界を引退した父・一義さん(74)の背中を追って政治家を志した。「地元の多くの人から電話をいただき、会いに来てくれたことが出馬の決意につながった」

 元は銀行マンだった父の影響で東京に生まれ育った。大学卒業後は民間企業に入社し、五年間務めた後、二〇〇六年から一義さんの秘書に。尊敬する政治家に父を挙げ「小さいころから間近で姿を見てきて、地元に対する熱意や態度、何においても父から学んだことは大きい」と話す。

 「靴を履けば、一九〇センチは超える」という長身を生かし、中学から大学まではバレーボールに打ち込んだ。

 現在、高山市の自宅で妻(39)と長男(5つ)、次男(1つ)と同居。「子どもは目に入れても痛くないほどかわいい。甘く接してしまっているかも」と顔をほころばせる。普段は家族とのドライブや子どもと鉄道模型で遊ぶのが心の癒やしになっている。

 (坂本圭佑)

◆候補者アンケート

(1)選挙区内でお気に入りの場所は?

(2)生まれる前の過去に行けるとしたら、いつ、どこで何をしたい?

(3)関ケ原で有名な岐阜。自身を戦国時代の人物に例えると?

(1)温泉地。豊かな温泉が多くある地域。露天風呂に入り、思い切り手足を伸ばして入ることが好きだから。

(2)(自身の誕生日の)1978年5月28日。両親のもと、これまでの出会いにあらためて感謝し、同じ人生を再びかみしめたい。

(3)武田信玄。人は城、人は石垣、人は堀の言葉のように、人を信頼する人間でありたいから。

主な政党の公約

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