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岐阜

<平成の票流>(4)働き方改革 やりがい持てる環境を

2017年10月15日 紙面から

 県内の宅配弁当の営業所に勤める三十代男性が、かつて経験した長時間勤務の現場を振り返り、苦笑する。「みんなやってるから、それが普通じゃないかと。疑問すら浮かばなかった。単純ですよね」

 リーマン・ショック前、新卒で外食大手に就職した。しかし入社後は一日に十四〜十五時間働くのが当たり前。早朝に仕事を終えると、そのまま本社の研修に呼ばれる日もあった。「それでも、バリバリ働いて上を目指したいという思いがあった」。一部の残業代は支払われず、数百人いた同期が次々と辞めていくのを見た。「ブラック企業」。勤務先はいつしか、世間からそう呼ばれていた。

 その後、社内で労働環境の見直しが進み、現在の部署では長時間勤務はない。地域に弁当を配達する業務に、やりがいも感じている。さまざまな世代のスタッフと関わるようになり、働き方に対する視野も広がってきた。「ワークライフバランスも大切だと思う。シニア世代や子育て中の母親など、もっと多様な働き方ができる環境が増えてほしい」と願う。

 残業ゼロを目標に掲げ、七時間十五分という短い勤務時間で知られる輪之内町楡俣の電設資材メーカー、未来工業。だが四年前、社長を継いだ山田雅裕(54)は「創業から二十年間は残業なしでは無理だった。いわば残業の歴史だった」と語る。

 亡父の昭男が一九六五(昭和四十)年、設立した未来工業に入社したのは一九八七年。テレビCMで「二十四時間戦えますか」のフレーズが流れていた八〇年代末、同社でも残業は当たり前だった。消費税導入前に資材を仕入れようと、取引先から駆け込みで注文が殺到。女性社員も夜の九時、十時まで働いた。「なおさら男は帰れないという雰囲気だった。他の会社はもっと大変だったはず」

 バブルがはじけると一転、仕事は減った。「社員が嫌々働く環境だと良い商品は造れない。やる気を持って働いてくれた方が会社の利益につながる」。社内から無駄な残業時間は削られていった。

 昨今の働き方改革の動きを歓迎しつつも、「長時間労働こそが会社を支えるという考え方はいまだ根強い」と懸念はぬぐえない。「やはり経営者の意識が変わらなければ。そうなるには、政治が労働者の声をどこまで反映できるかだ」

 (文中敬称略)

◆事業所2割、残業80時間超

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 岐阜労働局の調査では、残業(時間外・休日労働)が月80時間を超える労働者がいる県内の事業所の割合は、2016年時点で2割。うち100時間超えは1割に上る。統計を開始した09年以降、リーマン・ショック後の緩やかな景気回復に伴って増え続けていたが、労働局の監督指導などもあり、やや落ち着きを取り戻している。

 業種別では、これまで割合が最多だった製造業を、16年に運送業が上回った。県内事業所の年次有給休暇の取得率は15年時点で36・3%。全国平均(48・7%)を下回っている。

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