• 中日新聞ウェブ
  • 中日新聞プラス

岐阜

<平成の票流>(1)人口流出 過疎地の暮らしに光を

2017年10月12日 紙面から

 天皇陛下の退位によって二〇一九年に新元号になれば、二十二日投開票の衆院選は平成最後の総選挙になるかもしれない。平成の約三十年間は投票率の低下に代表される「政治離れ」の時代でもあった。昭和の世代と、平成に入って有権者になった世代は、それぞれ政治に何を思い、何を求めるのか−。県内の現場で聞いた。

平成フィーバーを機に整備された「元号橋」で、思い出を語る丹羽さん。竹下登政権時代にばらまかれた「ふるさと創生事業」の1億円を財源に造られた=関市下之保で

写真

 平成の幕開けは、鮮明に覚えている。関市中之保の丹羽政則(74)は当時四十六歳。勤め先の銀行から帰宅し、ニュースにチャンネルを合わせた。当時の官房長官、小渕恵三が「平成」の色紙を掲げていた。「そりゃインパクトがあったなあ」

 地区住民わずか三十七人だった山里の旧武儀町平成(へなり)地区(現関市)は「平成フィーバー」に沸いた。元号と同じ地名を一目見ようと、観光客とマスコミでごったがえした。一躍脚光を浴びたが、今では訪れる人もない。

 近くの多々羅地区で生まれ育った丹羽は、人口流出と高齢化の波を間近で見てきた。学びやの中之保小学校は二〇〇三年に閉校。跡地には高齢者福祉施設が立つ。平成生まれの同居の孫三人は、峠をひとつ越えた武儀東小にバスで通った。

 丹羽は定年後、地域に目を向け、地元の昔話を語り継ぐ活動に励んでいる。愛着ある武儀を守るためだ。田畑が荒れ、跡を継ぐ世代が地域を去るという悪循環が止まるとは思えない。「今の政治は過疎地を後回しにしていないか」と丹羽。「企業は人なり、というけど、地域も政治も『人なり』だよ」

  ◆  ◆  ◆

職場の駐車場から眺める山あいの景色にひかれ、武儀での暮らしを選んだと話す江坂さん=関市富之保で

写真

 秋晴れの青空、深緑の山並み、広がる田畑−。「この景色にひかれた」と話すのは、十月に名古屋市から関市中之保の旧武儀町に移住した江坂侑(30)。地方自治体に雇用される形で地域支援に携わる「地域おこし協力隊」の隊員だ。

 都会はせわしなくて窮屈だった。来春の長男の小学校入学に合わせ妻子を呼び寄せる。「平成フィーバー」は知らないが、大自然に暮らす武儀の人の生き方は「自分の目指す生き方」だった。

 総務省が〇九年度から取り組む地域おこし協力隊。地方創生を掲げる安倍政権下で拡充を図り、一六年度には四千人近くまで増えた。最長三年の期間で地域を盛り上げる活動で、希望者には定住してもらう。

 ただ今の武儀では定住へのハードルが高い。地域に高校はなく、子の高校進学と同時に地域外に転出する核家族世帯は多い。二校しかない小学校も統合の話題が出始めている。

 「周囲には地方への移住に憧れる友人も多い」と話す江坂。田舎で生きる道を選ぶ若者には、国による積極的な子育てや起業支援が必要と感じている。

 「これからは、中小よりもさらに小さい、個人事業主が増えていくと思う。自分のライフステージに合わせ、仕事にも住む場所にも縛られない時代になっていくのでは」

 (文中敬称略)

◆若者、現役減り 政治離れも

写真

 平成に入ってからも増え続けていた県内の人口は、ピークの平成11(1999)年に211万9000人を超えたが、16年から一転、少子高齢化の影響で減少の一途をたどる。今年9月時点では201万1000人と、ピークからの減少数は現在の多治見市の人口(10万8000人)に匹敵する。

 若者や現役世代の人口が減るとともに「政治離れ」も深刻化している。平成で9回あった衆院選の投票率は、最初(平成2年)の79.51%から前回(同26年)の52.92%まで、26.92ポイントも下落した。

主な政党の公約

新聞購読のご案内