中日新聞

先輩社員の声

編集職/取材

東京本社編集局運動部

兼村 優希Yuki Kanemura

これまでの仕事で、印象に残ったできごとを教えてください。

誰かが「生きた証」を残すことが記者の仕事だと思っています。
しかし、入社1年目で事件事故の遺族を取材していた時は、「それは記者の独りよがりじゃないか?」と悩むことも少なくありませんでした。
そんなとき、居眠り運転の車に中学2年生の男の子がはねられて亡くなる痛ましい事故が発生。3か月が過ぎても現場に通い、花を供え続ける父親の思いを記事にしました。それまで各社の取材を断っていた父親が取材に応じてくれたのは、「息子が生きた記録を残したい」との気持ちからだったといいます。記事の掲載後、「息子をみんなが忘れてないよと報告できた気がする」と言ってくれました。自分の記事が少しでも残された家族の役に立てたのでは、と思えた出来事でした。

東京パラリンピックの取材を通して、最も印象的だったことを教えてください。

自国開催の重圧に加え、無観客という異例の大会。選手たちはモチベーションを保つのに苦労したようでした。
競泳知的障害クラスのあるエース選手は、気持ちの制御がうまくできず、メダルを取れないまま大会を終えました。取材エリアで声をかけるのもためらわれる中、彼は清々しい表情で現れ、「メダルが取れなくても過酷な状況で戦えた。この先の人生でも胸を張って生きていけそう」と言いました。
競争である以上、結果を求められるのは当然ですが、その言葉にはメダル以上の価値を感じました。パラリンピックには五輪と異なる意義があると思っています。

ある1日のスケジュールWork flow

  • 9:00

    この日は千葉県でパラ競泳の日本選手権の取材へ。レース開始の1時間前には会場に入るようにしている

  • 10:00

    競技開始。東京パラリンピックで活躍した選手が揃い、久しぶりの実戦レースの様子を確認する

  • 12:00

    出場競技を終えた選手たちの囲み取材がスタート。調整の状況や今後の展望を聞く

  • 14:00

    午後の競技が始まる。合間に上司のデスクに電話し、出稿予定を相談する

  • 16:30

    囲み取材が終了。記者控え室に掲示された公式記録を確認しながら原稿を執筆。コロナ禍以降は記者室での作業時間が限られるため、近くのカフェで作業することも

  • 18:00

    翌日のレース時間と取材選手を確認し、帰路へ。デスクから手直しされた原稿がメールで送られてくるので、帰りの電車に揺られながら確認。取材メモをまとめることも

キャリアパスCareer path

  • 2012年4月 入社

    幼い頃から文章を読むことも書くことも好きで、新聞記者に憧れがあった。ただ、引っ込み思案な自分に記者が務まるかと自問したことも。それでも就職活動中に夢を諦められず、地元の名古屋で一番身近な中日新聞を志した。

  • 2012年8月 北陸本社編集局報道部

    2年半は事件事故を担当。取材相手との信頼関係の築き方を学び、仲間と連携してネタを追う面白さを知った。2016年のリオデジャネイロ五輪は現地取材班として、北陸ゆかりの選手の活躍を追い、スポーツの魅力を再確認した。

  • 2016年9月 岐阜支社報道部

    新聞記事をテーマに学生と議論する「新聞カフェ」を担当。どうしたら若者に新聞を読んでもらえるか頭を悩ませた。その後、岐阜県政担当に。2017年衆院選では、解散当日に民進党が分裂する瞬間を永田町で目の当たりにした。

  • 2019年1月 東京本社編集局運動部

    東京五輪・パラリンピックを担当。コロナ禍による大会の1年延期や組織委員会の問題など、前例のない状況での取材に悩むことばかりだった。スポーツ界におけるジェンダー平等の課題にも関心があり、取材を続けている。

※所属は取材当時のものです。

休日の過ごし方Holiday

スポーツの大会は土日に開かれることが多いため、平日に代休を取ることも多いです。休日は、同じ会社に勤める夫とお気に入りの店にランチに行ったり、映画を見に行ったりしています。

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