紙面から(パラリンピック)

4年後、東京でも輝く リオ・パラリンピックが閉幕

 【リオデジャネイロ=伊藤隆平】バトンは二〇二〇年の東京へ−。リオデジャネイロ・パラリンピックの閉会式が十八日夜(日本時間十九日朝)、現地のマラカナン競技場であり、十二日間にわたって繰り広げられた障害者スポーツ最大の祭典が幕を閉じた。五輪とともに開かれる次回の四年後に向けて、これからは東京が世界の関心を集め、課題を背負う。

 式典で、パラリンピック旗がリオデジャネイロ市長から、国際パラリンピック委員会(IPC)のフィリップ・クレーブン会長を経て、東京都の小池百合子知事へと渡された。君が代が流れる中、ブラジル国旗の横に日本国旗がゆっくりと掲揚された。

 金メダル十個を目標に百三十二人で臨んだ日本選手団は、夏季大会では史上初めて金メダルがゼロに終わり、東京・パラリンピックに向けて課題が突きつけられた。メダル総数は銀十、銅十四の二十四個で、前回の十六個(金五、銀五、銅六)を上回った。

 ロシア選手団はドーピング問題で出場できなかったが、百五十九カ国・地域と難民選手団の四千三百人以上が参加。史上最大規模となった。南米初のパラリンピックは二百を超える世界記録が出るなど、障害者スポーツのレベルが向上していることを物語った。

 閉幕式の会場は八万人の観客席の多くが埋まり、各国選手団が集結。大会中の名場面を振り返る映像が次々と大型スクリーンに映し出された。

 式の冒頭では、競技中の事故で死亡した自転車男子のバハマン・ゴルバルネジャド選手(イラン)に黙とうがささげられた。

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