紙面から(パラリンピック)

雌伏12年 貫いた信念 アーチェリー・平沢

女子コンパウンド個人2回戦矢を放つ平沢奈古=共同

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 2004年アテネ大会の銅メダリスト、アーチェリーの平沢奈古(なこ)(44)=日本身体障害者アーチェリー連盟=が12年ぶりのパラリンピックに出場。コンパウンドのオープンクラスで地元ブラジル選手に131−140で初戦敗退したが、出られなかった期間の自らの成長を確かめ、「また帰ってきたい」と誓った。

 3射ずつの合計点を競い、第1エンドは先取したが、残り4エンドは相手に封じられた。「負けたのは残念だが、思い通り撃てた」とさばさばした様子。微妙な心理の変化が左右する競技だが、熱狂的なブラジルの観客の前でも「のまれるくらいの雰囲気だろうと、楽しみにしていたが、それほどでもなかった」と振り返った。

 生まれつきの四肢の関節機能障害で、脚は膝から下の感覚がなく、移動は車いす。手には伸びない指がある。20歳すぎまでスポーツとは無縁の生活。姉の勧めで「半ば嫌々」訪ねた施設にアーチェリー場があり、24歳で競技を始めた。

 アテネ大会では銅メダルを獲得。08年の北京、12年のロンドンも出場を目指したが、手に障害のあるクラスがなくなり、オープンのみとなり、出場はかなわなかった。

 パラリンピックの前に行われる五輪を見るのがつらかった。「リオ五輪で開会式をこんなに落ち着いて見られたのは久しぶり。北京はすごく胸がざわざわして、ロンドンは見もしなかった」

 12年間、「自分はまだまだやれる」と信じ、練習を続けていた。だから「後ろ向きになることは少なかった」。今回、手に障害のある選手のクラスが復活したが、「出られないのは障害のせいではない。出られなかった種目で出ないと、自分が成長したことにならない」と、オープンクラスでの出場にこだわった。

 「続けてきたから帰ってこられた」と平沢。さいたま市の教育委員を務めており、子供たちに話す機会もある。「続けることの大切さ、好きなことを見つける大切さを伝えていきたい」と話した。

 (荘加卓嗣)

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