紙面から(パラリンピック)

病と闘う力くれた 走り幅跳び、400メートルリレーの芦田選手

◆右腕に腫瘍

陸上男子走り幅跳び決勝で跳躍する芦田創選手=14日、リオデジャネイロで(共同)

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 陸上を始めた七年前から、右腕の腫瘍の進行が止まった。そして、パラリンピックにたどり着いた。芦田創(はじむ)選手(22)=トヨタ自動車=は十二日の400メートルリレーの第一走者を担い、銅メダルに貢献。十四日にあった個人種目の走り幅跳びは十二位に終わったが「必ずまたパラリンピックに戻ってくる」と誓った。

 リレーの競技直前、電光掲示板にアップの姿が映し出されると、深々と頭を下げた。「やっぱりお辞儀かなって」。陸上への感謝の気持ちも込めた。

 五歳のころ、右肘に「デスモイド腫瘍」が見つかり、右腕がぱんぱんに腫れ上がった。放射線治療や骨の一部を取り除く手術をしても、右腕のあちこちに転移し、再発を繰り返した。十五歳の時、担当医に「これ以上メスを入れると腕が壊死(えし)する。切断した方が良い」と勧められた。全身に転移する可能性も指摘された。

 中学の陸上部で400メートル走にのめり込んでいたころだった。「切って陸上ができなくなるなら、その前に思いきり走ろう」。不思議と、右腕の腫れは少しずつ引いていった。半年後の検査で進行が止まったことが判明。担当医も驚いた。

 「好きなことに全力で打ち込み、心が明るくなった。病気と闘う力が上がったのかな」。芦田選手はそう感じた。ますます陸上を続けようと思った。高校でも陸上部に入り、大阪府大会で準決勝に残ったことも。三年生で初めて参加した障害者の大会では日本新記録で優勝した。

 放射線治療の影響などにより、腕の長さは十歳ぐらいで止まった。骨の一部がないため力はあまり入らない。障害者陸上では、片側の前腕部に障害がある選手らの「T47」クラスに分類される。

 初のパラリンピックとなったリオ大会。400メートルリレーでは、先輩の走者三人の力もあって44秒16の日本新記録を樹立した。

 走り幅跳びの一本目のジャンプはファウルになった。「後がない」と焦り、二本目は踏み切り位置の手前から跳び、距離が伸びなかった。ペースが乱れて臨んだ三本目も自己ベストを大きく下回った。

 「無意識に緊張したと思う。銅メダルのうれしさより、幅跳びの悔しさの方がずっと大きい」。陸上を続ける理由が新たにできた。四年後、新たな「奇跡」を起こしてみせる。

 (伊藤隆平)

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