紙面から(パラリンピック)

二人三脚、夫婦で駆けた 元調教助手・馬術の宮路選手

妻裕美子さん(左下)の号令で馬を操る宮路満英選手=14日、リオデジャネイロで

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 まさに夫婦の二人三脚だ。馬術グレード1b(重度の障害)に出場した宮路満英選手(58)=滋賀県湖南市、セールスフォースドットコム=の号令役は妻の裕美子さん(58)が務めた。競走馬の調教助手だった宮路選手が脳出血で倒れてから11年。リオでまた絆を深めた。

 「右手前」「速歩(はやあし)」

 宮路選手は脳出血の影響で記憶障害があり、演技の順番を覚えられない。裕美子さんは馬場のそばに立ち、鋭い声で次の動きを伝える。声に従って宮路選手は馬を旋回させ、歩調を変える。演技の正確さと芸術性の評価は出場選手中、最下位の十一位に終わったが、初めてのパラリンピックで世界のトップたちと競い合い、宮路選手は「楽しかった」とにっこり笑った。

 二〇〇五年の夏、JRA栗東トレーニング・センターの厩舎(きゅうしゃ)で作業中に昏倒(こんとう)。意識は四週間戻らなかった。「キャンピングカーで旅行しようって言ってたじゃない」。裕美子さんはベッドのそばで声を掛け続けた。「聞こえていたかは分からない。ただ、目の前に現れたきれいな川を渡らないでいられたのは覚えている」と宮路選手が振り返る。

 右半身がまひした宮路選手がリハビリとして乗馬を始めた時、裕美子さんは「落ちても受け身をとれない」と反対。ただ「この人はやると言ったらやる」とあきらめた。

 乗馬による頭と体への刺激が効果的だったのか、失語症になっていた宮路選手は三、四年後にはある程度の会話ができるようになった。前へ前へと走る競走馬に乗る感覚とは異なる上、右半身は使えないが、長年親しんできた馬との相性はよかった。

 裕美子さんは馬が苦手だったが、寄り添う時間を増やそうと乗馬を習い始め、号令役になった。海外にも夫婦で遠征。「今は戦友みたいな感覚もあります。よくけんかしますよ」

 貯金を切り崩し、裕美子さんがアルバイトをして資金に回していたが、昨年十二月に現在の会社が競技に専念する契約社員として迎え入れてくれた。契約期間は東京大会がある二〇年までだ。

 「妻がいなければ僕は生きていけない」と宮路選手。「パラリンピックに連れてきてもらってうれしい」と裕美子さんが笑顔で返し、「きっとまたけんかもします」と照れた。

 (伊藤隆平、写真も)

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