紙面から(パラリンピック)

「先生に」夢の続き走る 陸上400、辻選手「銅」

陸上女子400メートルで銅メダルを獲得し、日の丸を背負って笑顔の辻沙絵選手=14日、リオデジャネイロで(共同)

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 教師になって、生徒たちに世界で見てきたことを伝えたい−。そのために健常者と競ってきたハンドボールから陸上に転向し、パラリンピアンを目指した辻沙絵選手(21)=横浜市青葉区、日体大=は、女子400メートル(T47)で銅メダルに輝き「夢のようです」と涙した。

 障害者の陸上に専念したのは昨年十二月から。それまでは小学五年生で始めたハンドボールに打ち込んでいた。

 生まれつき右腕のひじから先がない。「両親に『手は生えてくるの?』と聞いても答えてくれなかった。三歳のころ、生まれたばかりの弟を見てショックを受けた。最初から両手はあるものなんだ、って」

 両親は「自分の好きなことをやりなさい」と育ててくれた。中学まで住んでいた北海道函館市内はハンドボールが盛んな地域。最初は片手でボールを捕れず、胸で受け止める時の痛みで泣いていた。

 中学の部活に入る時、教諭に「あなたに合わせて練習はできない」と言われた。しかし、落ち込まず「みんなと同じ条件で頑張れる」と喜んだ。右腕を添えて左手で捕球できるようになり、二年でスタメンに。茨城県内のハンドボール強豪校へ進み、主力として高校総体ベスト8に貢献した。

 ハンドボールの実績を買われて日体大に推薦入学したが、二年の夏、二〇二〇年東京パラリンピックを見据え選手の育成を考えていた学校側から競技転向の打診を受けた。

 「抵抗を感じた。なんでも周りと同じようにしてきたので、自分を障害者と認識したことはなかった。ハンドボールだって両手がある選手に負けてなかった」

 「障害者」と呼ばれる道を選んだのは、世界で戦うパラリンピックがあったから。現役引退後、中学校か高校の保健体育の教諭になり、若者たちに自分の体験を伝える未来を思い描いた。年明けからハンドボール部と陸上の練習を並行させ、その年の暮れ、陸上一本にしぼった。

 陸上を始めてわずか一年半で100メートル、200メートル、400メートルの三種目で日本記録を樹立。そして、リオの出場権を得た。「ハンドボールを辞めて良かったと百パーセント思えるようにと、頑張ってきた」。歩みだした道を、駆け抜ける。

 (伊藤隆平、荘加卓嗣)

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