紙面から(パラリンピック)

50自「銅、12年の重み」 山田、4度目の正直

男子50メートル自由形決勝勢いよくスタートする山田拓朗(手前から3人目)=田中久雄撮影

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 悲願の表彰台だった。4回目のパラリンピックに出場した山田拓朗(25)は競泳男子50メートル自由形で、無心で泳ぎ、初めてメダルをつかみとった。首にかけながら右手で持ち、「重い。12年の重みが詰まっている」と感慨深そうに見つめた。

 生まれつき左肘の少し先からがない。幼いころは水が苦手だったため、心配した両親がスイミングスクールへ通わせた。競泳人生のスタートだった。2004年のアテネ・パラリンピックでは50メートルと400メートルの自由形で予選敗退。08年北京大会は100メートル自由形で5位、12年ロンドン大会は50メートル自由形で4位と、少しずつメダルに近づいてきた。

 今の競泳日本代表の選手のほとんどがロンドンでメダルを手にしている。「自分も何とか」という気持ちを焦りではなく前へ進む力に変えて練習してきた。上半身の筋力トレーニングで体のバランスが良くなり安定した泳ぎができるようになった。リオ大会の直前にも「調子がいい」と感じ、リラックスした状態だった。

 今大会では「トビウオ パラジャパン」の主将を任された。北京大会で金メダルを取った時の主将、鈴木孝幸(29)=浜松市北区出身、ゴールドウイン=から「歴代主将はメダルを取っている」と励まされた。レース直前に木村敬一が100メートル平泳ぎで銅メダルを取ったことも発奮材料になった。

 「優勝した選手が隣で持っていた金メダルが、格好良く見えた。次は自分の国での大会。一番いい色をとりたい」

 (伊藤隆平)

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