紙面から(パラリンピック)

“難敵”挑むヒーローに 車いすテニス諸石選手、善戦

車いすテニス男女共通ダブルスオーストラリア組との対戦でサーブを放つ諸石光照選手。後方は川野将太選手=10日、リオデジャネイロで

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 最強の相手に食い下がった。十日の車いすテニス男女共通ダブルス(上下肢障害)の初戦。日本の男子ペアは敗れはした。だが、諸石光照選手(49)=岐阜県各務原市、フリー=はこの手応えを忘れず、四年後の東京パラリンピックを目指す。日本で車いす生活を送る子どもたちのため、ヒーローになる。(伊藤隆平、写真も)

 手に何重にも巻かれたテーピングはラケットを固定するため。ショットを打てないほど握力が弱い。三十歳の時に筋力が低下する病気「ギラン・バレー症候群」にかかり、全身にまひがある。

 諸石選手と川野将太選手(30)=シーズアスリート=のペアは、三肢以上のまひがある重度障害者を対象にした「クアードクラス」で出場。ただ、障害の程度はさまざまで、選手のレベルにばらつきが大きいとされる。

 初戦の準々決勝でぶつかったのは、世界ランキング一位のオルコット・デュラン選手(25)らオーストラリアペア。二人ともまひは軽い方とみられ、テーピングなしで力強いショットを繰り出す。諸石選手たちはコートの隅を狙い打つなど、技で対抗。勝敗を決する2セット目は4−6まで競った。

 車いすテニスを始めたばかりの三十六歳のころ、筋肉が落ちきった諸石選手はSサイズのTシャツでも大きすぎ、子ども用を着ていた。

 「外に出なくては」と思って出向いた車いすテニスの体験会で、かつて野球少年だった心がうずいた。「楽しみを見つけよう」という程度の気持ちだったが、「一度きりの人生だから思いっきりやってみよう」と変化。仕事に就かず、障害年金をやりくりするなどして練習優先の日々を送り始めた。

 筋力がなくても、豊富な練習量によって障害が自分より軽い選手とも渡り合えるようになっていった。国内の大会で優勝を重ね、二〇一二年にはロンドン・パラリンピックで四位になった。

 練習の傍ら、地元の車いすテニスクラブで小学校高学年から中学生までの子どもたちに教えている。「子どもたちが車いすテニスを楽しむ姿を見るのは生きがいです」。自分が活躍することが子どもたちの励みになることも知っている。

 車いすテニスの中でも、クアードならではの良さをこう語る。「自分より障害が軽い相手に勝ったら格好良いじゃないですか。だからやめられない」

 <ギラン・バレー症候群> 筋肉を動かす運動神経の障害のために急に手や足に力が入らなくなる病気。10万人に1人がかかるとされる。歩行や起立が困難になったり、呼吸筋障害で人工呼吸器が必要になったりする例もある。約8割は完全に回復するが、約2割に後遺症が残り、死亡する場合も。女優の故大原麗子さんが患ったことで知られる。ジカ熱で症状を引き起こす可能性も指摘されている。

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