紙面から(パラリンピック)

卓球ばあちゃん強く明るく 別所選手、準々決勝へ 

卓球女子シングルス1次リーグで香港選手と対戦する別所キミヱ選手=9日、リオデジャネイロで(田中久雄撮影)

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 卓球の出場選手、そして日本選手団でも最年長の別所キミヱ選手(68)が、女子シングルス(車いす5)で一次リーグを突破し準々決勝に進んだ。大病で車いす生活になりながら関西人らしい明るさを取り戻し、四度目のパラリンピックで自己最高の五位より上を目指す。

 一次リーグ第一戦、若い中国選手に0−3で完敗した。試合後、「おばあちゃんいじめんといて」と、日本の報道陣の前ではすねてみせたが、第二戦は香港選手に3−0で快勝し、ガッツポーズ。「次も勝ち進みたい」と笑顔になった。

 「関西人やもん」と言う通り、話に笑いが絶えない。遠征や合宿で若い選手と顔を合わせると、自己紹介がてら「介護してください」。

 外見の印象も強烈だ。濃いアイラインに、明るい茶色に染めた髪は編み込み、トレードマークの色とりどりのチョウの飾り付け。意図は「敵を編み込み(取り込み)チョウのように惑わせる」という験担ぎと説明する。にもかかわらず「最近、友達に『ガやないの』と言われた」と憤慨する。

 一九八七年に夫を亡くし、心の傷も癒えていない九〇年、骨盤の一部にがんが見つかり手術。翌年再発し、再び手術した。一回目は二十六時間、再発時は三十四時間の大手術。合わせて百人以上から輸血を受けた。

 当時を振り返ると「死にたいと思ったことはあった」と表情が曇る。退院後も車いす生活が想像以上に不自由で苦しんだ。「がんだから、いずれ死ぬんだろうという思いがあった。でも、支えてもらった先生や輸血してもらった人たちのために」。もともとママさんバレーで活躍するなど、運動好き。四十五歳で出合った卓球が支えになった。

 二〇二〇年東京大会は七十二歳で迎える。出場の意欲を尋ねれば、「死んでるかも分かりませんもん」と冗談を飛ばす。世界で戦う今を誰よりも楽しんでいる。

 (荘加卓嗣)

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