紙面から(パラリンピック)

「最強」41歳、闘志再び 柔道・藤本選手銅

柔道男子66キロ級で銅メダルを獲得し、日の丸を掲げ喜ぶ藤本聡選手=8日、リオデジャネイロで(田中久雄撮影)

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 かつて日本のパラリンピック柔道界を代表する存在だった男が、意地の銅メダルをつかんだ。男子66キロ級の藤本聡選手(41)=徳島県立徳島視覚支援学校=は二大会ぶりの出場。準決勝でアゼルバイジャンの選手に敗れ三位決定戦に回ったが、親友でライバルの60キロ級、広瀬誠選手(39)=愛知県立名古屋盲学校=の銀メダルに奮起し、気持ちを切り替えた。「今までで一番重いメダル。最低限の結果を残せた」と胸をなで下ろした。

 肩で息をするのがやっとだった。リトアニア選手との三位決定戦。お互い一歩も引かない消耗戦となったが、相手のミスを誘い、粘り勝ちした。

 一九九六年アトランタ大会から三連覇し、二〇〇八年北京大会は銀メダル。しかし一二年ロンドン大会は階級を上げた広瀬選手に敗れ、出場できなかった。「勝負の世界だから」と、今は淡々と振り返るが、当時よぎったのは「引退」の二文字。指導する母校・徳島商業高校柔道部の後輩たちの前では「すまん、負けてもうたわ」と苦笑いしてみせたが、心は揺れ続けていた。

 だが、その広瀬選手はロンドンで五位に。独り言で「ええかげんにせえよ」とつぶやいた。失いかけていた闘争心にまた、火がついた。

 生まれつき視神経に障害があった藤本選手。ラーメン店を営む両親は忙しく、五歳の時から「おもりのかわり」に近所の道場に通った。中学生の時のけがで左目はさらに悪化したが、柔道はやめなかった。

 年齢は四十を超えた。三連覇の時と比べれば、体力は下り坂のはずだが、ハードな筋力トレーニングなどを重ねた。「今が最強」と臨んだリオ。初戦のスペイン選手と二回戦の韓国選手には一本勝ちしたが、準決勝ではアゼルバイジャン選手に一本負け。

 気持ちが切れかけたが、広瀬選手は決勝進出を決めていた。「地元で支えてくれる人のためにも、出るからには何かのメダルは取りたい」。闘争心をとことん高めて臨んで銅メダルを獲得。表彰式でメダルを受け取り、ずっと厳しかった顔が、ようやく緩んだ。

 (荘加卓嗣)

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