紙面から(パラリンピック)

娘の声援、メダルに届く 柔道・広瀬銀

柔道男子60キロ級で銀メダルを獲得し、表彰式で家族の写真を見せる広瀬誠=8日、リオデジャネイロで(田中久雄撮影)

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 リオデジャネイロ・パラリンピック柔道男子60キロ級で銀メダリストとなった広瀬誠は表彰台から降りると、「お父さん!」と聞こえてくる方向へゆっくり歩き、観客席から身を乗り出していた長女優宇(ゆう)ちゃん(6つ)の首にメダルをかけた。四年間、ずっと望んでいた瞬間だった。

 高校二年のころに目の難病にかかり、視界の中央が見えない弱視に。高校で始め、大好きになった柔道が生きがいになった。

 パラリンピックは過去三大会出場を続けているが、二〇〇四年アテネ大会で銀メダリストになって以降、力をつけてきた海外勢に敗れ、優宇ちゃんが二歳の時に開かれた一二年ロンドン大会でもメダルを逃した。

 肉体のピークは過ぎ、ロンドン後は練習の疲れが残るように。それでも金メダルはあきらめられず、「まだ技を磨けるはず」と感じていた。一方で、愛知県立名古屋盲学校(名古屋市千種区)で勤務を終えた後の練習で優宇ちゃんら三人の娘と過ごす時間が削られていた。そのことで引退も考えたが、リオを目指すことを決めたのも、娘たちの存在だった。

 「優宇たちは、父親が障害者であることを気にする時期がいつか来るだろう。そんな時、僕がパラリンピックに出ていた姿を振り返り、多少のことがあっても人生なんとかなる、と思ってほしい」

 妻里美さん(35)は三人の娘を連れてリオに応援に来た。「お父さん頑張ってーっ!」。優宇ちゃんらが叫び続けた声は届いていた。

 「声が聞こえたから最後まで頑張れた」。準々決勝ではポイントで劣勢だった終盤に払い巻き込みを決め、一本勝ち。世界ランキング一位で若さに満ちあふれる二十四歳のウズベキスタンの選手との決勝戦でも、得意のともえ投げや強化してきた寝技をひるまず仕掛け続けた。

 リオ入り前には「今大会で絶対に最後」と公言していたが、表彰式後、報道陣には「今後のことはコーチと相談しながら決めます」。少しばつが悪そうに笑った。二〇年には東京でパラリンピックが開かれる。広瀬はその時まで戦うかもしれない。金メダルを娘に見せるために。

 (伊藤隆平)

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