紙面から(パラリンピック)

新種目で夏も挑む クロスカントリー生かし鉄人レースに

手首から先がない左腕をハンドルに乗せて走る佐藤圭一選手=エイベックス提供

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 リオデジャネイロ・パラリンピックから正式競技となったトライアスロンに、冬季パラリンピック二大会に出場した佐藤圭一選手(37)=名古屋市西区、エイベックス=が参戦する。二十五歳で会社を辞め、プロアスリートの道を選んだ。「今までやってきたことを信じて、全身全霊をかけて走りきるだけ」。夏冬問わぬパラリンピアンとして一段の高みを目指して十日のレースに臨む。

◆名古屋の佐藤選手

 挑戦の舞台となるリオの空港に降り立った佐藤選手は、長旅の疲れを感じさせない引き締まった表情だった。「失敗して当たり前と覚悟して、やりたいことをやる。そうやって生きてきた」と高揚感をにじませた。

 名古屋市内の印刷会社に勤めていた二十代半ばの時、広告を刷りながら「このまま人生が終わってもいいのかな」と考えていた。正直、残業が続く日々にも疲れていた。目に留まったのが二〇〇六年トリノ・パラリンピックに出場する日本選手の新聞記事。左肘から先を事故で切断した選手が紹介され、生まれつき左腕の手首から先がない自身と照らし合わせた。「自分にも出場資格はある。やってみようかな」

 思いつきだったが、気持ちは止まらない。運動に打ち込んだ経験はないが、子どものころ、鉄棒を左腕で抱き込むようにして逆上がりをしていたことを思い出した。「できる」

 会社を辞め、カナダへ。バンクーバー郊外に住み、一年間スキー場でリフトを動かす仕事をしながらクロスカントリースキーや射撃を組み合わせたバイアスロンを学んだ。帰国後も練習を続け、一〇年のバンクーバー・パラリンピックに出場。クロスカントリーのリレーでは五位に入った。

 初めての夏季への挑戦となるが、トライアスロンはこれまでの練習の延長にある。夏場のトレーニングで自転車をこいできたから。左手がなくても安定するよう、腕を置きやすいハンドルを作ってくれた地元の自転車店の関係者に二年前、トライアスロンを勧められた。

 でも水泳は中学校の授業以来。最初は二十五メートル泳ぐのがやっとだったが、国内では一般のトライアスロン大会で上位に入る。冬と夏の競技を両立させるトレーニングは肉体的にも相当きついというが、「やってみないと分からない」。まずはトライアスロンの魅力を味わう。

 (伊藤隆平)

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