紙面から

長期戦「強い日本」回復 シンクロのチーム「銅」

銅メダルを獲得し、記念撮影するシンクロ日本チーム=19日、リオデジャネイロで(今泉慶太撮影)

写真

 連続メダルで、お家芸の完全復活を世界に印象づけた。リオデジャネイロ五輪のシンクロナイズドスイミングのチームで、日本は三大会ぶりに表彰台に返り咲いた。同じく銅メダルを獲得したデュエットとともに、世界三番手の地位をアピールした。いずれもウクライナとの競り合いを制しての栄冠。最大のライバルとの戦いは、一年前から熱を帯びていた。

 電光掲示板を見つめ、勝利を確信した選手たちは、一斉にプールサイド脇へ駆けていった。待ち構え、一人ずつぎゅっと抱きしめる井村雅代監督(66)。「選手の喜ぶ姿を見て、率直にうれしかった」としみじみ語った。

 井村監督は日本代表に復帰した二〇一四年、ワールドカップで早くもチーム、デュエットとも二位に導いた。翌一五年八月の世界選手権。すでに三個の銅メダルを積み上げていた日本は、最終種目のフリーコンビネーション(FC)でも銅メダルを獲得した。五輪種目ではないが、井村監督はことさら喜んだ。「一番懸念したのは、より芸術性が問われるFCでウクライナに負けること」

 長い手足を駆使し、柔らかな演技を誇るウクライナ。体格で劣る日本は高い技術と同調性で勝負する。世界の舞台で、相手の強みを印象付けることだけは避けたかった。採点競技で審判の先入観を覆すことがどれほど難しいか、井村監督は誰よりも知っている。

 アテネ五輪で一度は勇退。その後、中国を五輪の表彰台に乗せた。「中国に行ってから三カ月後に世界選手権があった。当時、七番手ぐらいだったのを四位にした。五輪で何かやらかしそうだという印象を残したかった」と振り返る。

 一方で低迷期を抜け出せない日本。この状態を井村監督は「世界の信用をなくした」と表現する。三大会ぶりに復帰。まずは「日本は強い」という信用を取り戻すこと。そのために世界選手権でのメダル獲得は不可欠だった。

 だから今年三月の五輪最終予選で、チームがウクライナに僅差で敗れた時は「負けは負けだが、負けた気がしない。腹が立っただけ」と報道を通して、かたくなに敗戦を認めない姿勢を発信した。

 したたかに戦略を立て、長期視野を持ち、鉄の意志を貫いて選手を鍛え上げる。まさに井村監督の真骨頂。取り戻した二つのメダルが、その結晶だった。

 (高橋隆太郎)

※ご利用のブラウザのバージョンが古い場合、ページ等が正常に表示されない場合がございます。