紙面から

母の遺影、荒井を後押し 50キロ競歩

陸上男子50キロ競歩で3位となり、銅メダルを手に笑顔を見せる荒井広宙=19日、リオデジャネイロで(佐藤哲紀撮影)

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 天国の母にささげる銅メダルだった。35キロをすぎたころ。二十八歳の荒井広宙(ひろおき)の視界に母繁美さんの笑顔が入る。沿道で兄英之さん(37)が遺影を掲げていた。「天国で母が見てくれている。頑張ろう」。気持ちが入り、自然とスピードが上がる。温かい母のまなざしを背に歩き続けた。

 福井工大を卒業後は就職せず、競歩に専念した。実家は農家を営み、父の康行さん(67)と繁美さんは農作業をして、仕送り九万円を工面してくれた。自衛隊体育学校に入校するまでの二年間、競技を続けられたのは母のおかげだ。「競歩のために大学に行かせてもらって、その後も『好きなことをしなさい』と言ってくれた。母がいなければ競歩をできていない」

 二〇一四年、その母が卵巣がんを患う。闘病中は「病気を治してリオへ応援に行く。東京五輪まで頑張ってほしい」と荒井の活躍を支えにしていた。普段は物静かで、これまで競技について何も口にしなかった母の願いが胸に響いた。

 昨年八月の世界選手権(北京)では、いつも沿道にいるはずの母の姿はなかった。「歩いていて、そんなに具合が悪いのかなと思った」。三カ月後の十一月、六十三歳で天国へ旅立つ。落ち込む家族に「僕が明るいニュースを届ける」とリオ五輪での活躍を誓った。

 農作業を頑張っていた母。「リオへ行く」と話していた母。リオへ出発前、家族に「かあちゃんの遺影を持ってきてほしい」とお願いした。

 一時は失格となり、ゴールから三時間半後、三位が確定した。「応援してくれたと思う。銅メダルをかあちゃんの仏壇に供えたい」。どんなときでも見守ってくれる。温かい母の笑顔を思い浮かべた。

 (森合正範、兼村優希)

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