紙面から

走る喜び、東北で学んだ ケンブリッジ

陸上男子400メートルリレーで銀メダルを獲得し、日の丸を掲げる(左から)山県、飯塚、ケンブリッジ、桐生=19日、リオデジャネイロで(佐藤哲紀撮影)

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 最終走者としてバトンを受け取り、世界最速を誇るウサイン・ボルト(ジャマイカ)に続く二番目にゴールすると、スタンドは大歓声に包まれた。陸上男子400メートルリレーで、日本のアンカーを務めたケンブリッジ飛鳥(23)は、被災地への思いを込めて駆け抜けた。

 東日本大震災から十カ月が過ぎた二〇一二年一月、東京高(東京都大田区)三年生だったケンブリッジは夜行バスに揺られ、陸上部の大村邦英総監督の母校・岩手県宮古市の宮古高へ向かった。二日間にわたって開かれた陸上教室で、先生役をこなした。

 東京から古い体操着やジャージー、シューズなどが入った段ボール数箱を持参。すぐに地元の高校生たちが集まってくる。「このジャージーはお父さんのため。こっちは弟のためにいいですか?」と聞いてくる生徒がいた。両親や親類を亡くした人もいれば、仮設住宅から通っている生徒も。あっという間に物資はなくなった。そんな光景をケンブリッジは黙って見つめていたという。

 練習を開始しても地元の高校生たちに元気はない。よく見るとハードルは津波の影響でさびている。被災した同世代の人たちは生きるのに必死だ。自分はいかに恵まれた環境で競技をしているのか…。

 普段は引っ込み思案のケンブリッジが率先して手本を見せ、輪の中に入っていった。二日目にはみんなの表情が明るくなり、笑顔が広がっていく。大村総監督は「宮古を訪れてからケンブリッジの姿勢が変わった。陸上競技をできる喜びを知り、支え合うことの大切さを知ったのだと思う」と話す。二日間の触れ合いで先生役のケンブリッジが逆に教わっていた。

 あれから四年半。支え合うのはリレーも同じ。決勝では、仲間がつないでくれたバトンを手にゴールした。「(前の)三人が完璧な位置で持ってきてくれて、絶対メダル取るぞという気持ちで走った。最高でした」。日の丸をまとい、充実した表情で場内を一周した。

 (森合正範)

◆けが乗り越え、歴史刻む 桐生と山県 

 第一走の山県亮太(24)と第三走の桐生祥秀(20)。けがでしばらく世界の舞台から遠ざかり、再起を誓い合った二人が、快挙に大きく貢献した。

 昨夏、北京では世界選手権が行われていたが、日本短距離界を引っ張ってきた両スプリンターの姿はなかった。ともに国内にいて偶然、イベントで一緒になり、控室のテレビに映る北京のトラックを見つめていた。

 「なんでおれたちここにいるんだろう」。二人の乾いた笑いが控室に響き渡った。「悔しいね」「いやー、本当に出たいっす」。けがで参戦できなかった世界の舞台を、まぶしそうに眺めた。

 悔しい思いを分かち合い、時には練習でともに汗を流してきた二人。陸上シーズンの今季開幕直前の三月、「頑張ろう」とリオに向けエールを交わした。

 決勝のレース後、山県は「歴史をつくれてうれしい」と喜び、桐生は「がむしゃらに走った。本当に最高な日」と笑った。二人の笑顔が、再び世界の舞台で輝いた。

 (森合正範)

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