紙面から

「克己心」で父と猛練習 バド・奥原選手銅

奥原希望選手の準決勝の試合を見守る父圭永さん(右)と母秀子さん=18日、リオデジャネイロで(共同)

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 バドミントン女子シングルスで日本勢初の銅メダルを手にした奥原希望選手。長野県大町市にある実家のリビングは、壁一面が大小の張り紙で埋め尽くされている。

 大半は偉人やスポーツ選手の金言、格言。父の圭永(きよなが)さんが気に入った言葉を印刷したものだが、その中にある「克己心」は奥原選手が好み、自らしたためた。中学生のころに出合った言葉だが、その心は幼いころから育まれていた。

 奥原選手がバドミントンを始めたのは小学一年の時。大町北高(現大町岳陽高)でバドミントン部の顧問をしていた圭永さんが、子守がてらに体育館へ連れて行ったのがきっかけだった。自然とラケットを握り、高学年になるころには高校生と同じメニューをこなしていた。

 圭永さんは自身もスキーの指導員をするほどのスポーツマンで、やると決めたらこだわる性格。娘への指導も厳しかった。

 毎日一時間以上の打ち込みや千本ノック。靴下が血まみれになることもあった。それでも奥原選手は音を上げず、今も武器とする柔軟性やレシーブ力を培った。

 奥原選手が小六の冬、圭永さんは練習で気の緩みが見えた娘に「やる気があるなら態度で示せ」と迫った。奥原選手は縄跳びを始め、約四十分間、ひたすら二重跳び。足の裏が水膨れになり、汗だくで倒れ込んだ娘の姿に「あれ以来、彼女のやる気を疑ったことはない」と圭永さん。自分もスキーとの掛け持ちをやめ、娘の指導とサポートに専念するようになった。

 母の秀子さんは奥原選手が出場する試合をビデオで撮影し、圭永さんが得点経過やプレーの傾向をデータ化。一試合を見るのに試合時間の何倍もかかったが、細かく分析し、次の練習に反映させた。

 正月に一年の目標を書き記すのが奥原家の習わし。「目標を意識すれば成長できるから」という圭永さんの教えで、奥原選手の二〇一六年は「リオ五輪でメダル獲得!」。スタンドでまな娘の活躍を見守った圭永さんは「今年の目標にしてずっと頑張っていた。お疲れさま、おめでとうと伝えたい」と祝福した。 (井上仁)

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