紙面から

母の夢はリサコがかなえた レスリング63キロ級で「金」

優勝し、母の初江さん(右)に駆け寄る川井梨紗子選手=18日、リオデジャネイロで(内山田正夫撮影)

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 にじんだ視界に、日の丸をはためかせて駆け寄ってくる娘が見えた。金メダルを決めた川井梨紗子選手(21)はスタンドで大きく両手を広げた母初江さん(46)の胸に思いっきり飛び込んだ。

 元選手で女子レスリングの草創期に活躍した初江さんは川井選手にとって「怖い監督」だった。小学二年から通った金沢ジュニアレスリングクラブ。マット上では母の顔を捨て容赦なくしかりつけた。「守って勝つな、攻めて勝て」。どんなに頑張っても褒めてもらえないのが悔しくて、誰よりも練習に打ち込んだ。

 母子そろって負けず嫌い。中学生になると何かにつけて反発した。「こっちにいたらお母さんとケンカしちゃう。だから寮に入ろう」。進学先に愛知の強豪、至学館高校を選んだのは母から離れるためだった。

 だが、いざ寮生活を始めてみると親のありがたみが身に染みる。「一番に応援してくれるのはやっぱり家族。お母さんが厳しかったのも、私を強くするためだったんだ」。いつしか練習で行き詰まると初江さんに相談するようになった。

 初江さんの現役時代、女子レスリングは五輪競技になかった。「お母さんは目指すことさえできなかった」。その言葉が脳裏に刻まれた。「それなら私が代わりに夢をかなえる」

 迎えたリオ五輪。初戦のマットに立つ娘を見ただけで母の目から涙があふれた。「五輪に来たんだなと急に実感がわいちゃって」

 いつかの母の教えのように川井選手はリードしても守りに入らなかった。「家族みんながいる最高の舞台で、一番良い色のメダルを見せられたことが一番うれしい」。試合後、泣きはらした目でほほ笑んだ。

 (兼村優希)

◆階級変更は登坂先輩の助言 馨さんに勝つより五輪決断

 駆け寄ってきた恩師、栄和人チームリーダーをつかまえてぶん投げた。金メダルを手にした川井選手。「絶対、金」と決め、前日から考えていたパフォーマンスは、あの時の決断なしではできなかったかもしれない。

 昨年の春。空欄になったままのエントリー用紙をじっと見つめた。リオ五輪への入り口となる六月の全日本選抜選手権で、どの階級に出るか決めなければならない。「人生で一番迷った」。自分の力と競技への思いを十分に知る仲間が説得してくれたから、63キロ級で挑む決断ができた。

 二年前は58キロ級にいた。「自分が一番力を出しやすい重さ」であるのに加え、ロンドン五輪で三連覇を果たした伊調馨選手(32)がいたから。「馨さんに勝って五輪に行く」ということを選手生活の目標に定めたが、全国大会の決勝で二度当たり、いずれも敗れた。

 二〇一五年一月、至学館大の練習始め。一学年先輩で、レスリング部の主将を務めていた登坂絵莉選手に相談した。「60キロ級にしようかな」。世界選手権だけで行われる階級でまず一度、世界一を目指そうと考えた。

 「何言ってんの」。48キロ級で世界を制した先輩は厳しい口調になった。「今、60キロ級のタイトルを取ったところでどうなるの。五輪に出た方が絶対いいよ」。ふいに涙がこぼれた。女王の壁も避けた上に、五輪もあきらめようとしていた自分の情けなさに気付いた。

 「梨紗子は『ロクサン』に出ればいいとずっと思っていた」と登坂選手。登坂選手は富山県高岡市、川井選手は石川県津幡町と北陸の隣県育ち。小中学生時代に対戦経験があり「タックルを切る力はあるし得点能力もすごい」と感じていた。

 先輩の言葉に心が動いた。川井選手は「初めて63キロ級という選択肢が増えた」。元レスリング選手で、五輪に女子種目がなかった悲哀を味わった母の初江さんの思いもくみ取り、決断した。「リオに行こう。馨さんに勝つのは、その後でいい」

 新しい階級で臨んだ全日本選抜。体重は六〇キロを少し超える程度だったが、前年のアジア選手権を制した渡利璃穏選手(アイシンAW)を破って優勝。世界選手権でも銀メダルを獲得し、リオの切符を手にした。

 本来とは違う階級で生まれたまさかのシンデレラストーリー。リオが終わったら、体も心も元に戻す。「東京五輪は、馨さんに勝って58キロ級で出たい」

 (鈴木智行)

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