紙面から

父の形見の攻撃あと一歩 レスリング・吉田

レスリング女子53キロ級の表彰式で涙ぐむ吉田沙保里=18日、リオデジャネイロで(内山田正夫撮影)

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 試合終了のブザーが鳴った瞬間、吉田はマットに突っ伏して動けなくなった。「いろんな人に金メダルを取ると約束していた。申し訳なく思った」。三十三歳で挑んだ五輪で四連覇ならず。ゆっくり起き上がると、観客席の家族のもとに歩み寄った。「ごめんね」。抱き寄せてくれた母や兄とともに、この言葉を一番かけたい人は空にいた。

 「なんで、なんで…」。二〇一四年三月十一日。自宅の道場のマットに敷いた布団に横たわった父に、震える声をかけ続けた。

 三歳からレスリングを手ほどきしてくれた吉田栄勝さん。子どもたちを試合や出稽古に連れて行った昔のように、娘の試合会場に車で向かう途中、くも膜下出血を起こした。享年六十一。ハンドルを握っていた車は、還暦の誕生日に娘から贈られたワゴン車だった。

 二日後の通夜で初めて取材に応じた。振り返れば、父の死について人前で涙を見せたのはこれが最後だった。「お父さんは何があってもレスリング優先。手首から折れた骨を固定するボルトが飛び出していても、試合に出ろという人だった」。すぐにファイティングポーズを取り直し、告別式翌日の大会に出場した。

 形見は親類や知人に分けられたが、受け取らなかった。「私に残してくれたのはレスリング」。手元にあるのは、大学進学で実家を離れた時に持ってきた一枚の写真だけ。

 現役時代のモノクロスナップ。「父は守りが専門。なのに五輪の選考試合でタックルを受けて負けた」。大舞台に一歩届かなかった選手・吉田栄勝を見るたび「攻めなきゃ勝てんぞ」という低い声を思い出した。世界大会の連覇は十六、個人戦の連勝はこの日の三勝で二百六にまで伸ばした。

 霊前に誓った五輪四連覇にはあと一勝足りなかった。「父が助けてくれるかな、とどこかで思ったけど間違いだった。最後の最後まで応援してくれたと思う。そこは信じて戦うことができた」。涙にむせる中、それだけは強調した。

 昨春、実家のある津市内にお墓が建った。墓石の両脇には「感謝」の文字が彫られている。「いつも感謝を忘れるなと言われていた。父らしい」。家族はもちろん、期待を寄せたすべての人の思いを力にして戦った。メダルの色は違っても、あの人はほほ笑んでくれる。

 (鈴木智行)

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