紙面から

父から励ましメール、やめたい気持ち消えた 22歳・登坂選手

女子48キロ級で金メダル、日の丸を手に笑顔の登坂絵莉選手=17日、隈崎稔樹撮影

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 残り五秒で逆転のポイントを奪い、試合終了の瞬間を迎えた。三回手をたたいて、両手でガッツポーズ。「やったーっ」。口を大きく開いて絶叫すると、熱気の残るマットに大の字になって勝利をかみしめた。

 レスリング女子48キロ級で金メダルを手にした登坂絵莉選手は吉田沙保里選手に憧れ、中学卒業後に故郷の富山県高岡市を離れて名門の愛知・至学館高へ進んだ。

 だが、世界への道はなかなか見えなかった。四十キロ台前半だった体重を増やすため、半べそをかきながら大盛りのご飯をかき込む日々。先輩とのスパーリングではしばしば、マットに顔を押しつけられた。

 「ボコボコにやられた。大会で同年代には勝てたけど、それを目標に愛知に来たわけじゃない」。レスリングは高校まで。富山に帰ろう。そんな気持ちに傾いていた。「警察官になりたいと思っていた。犯罪は怖いから、交通課のような部署で。大卒からだと難しいから、高校からならとぼんやり考えていた」

 高校三年になった頃、担任教諭にも希望を伝えた。教諭から連絡を受けた父の修さん(52)が、娘の携帯電話にメールを届けたのはその直後だった。

 高校時代に国体を制した父。自身が小三で地元のレスリングクラブに入ってからは練習前後に稽古相手になり、真夜中の小学校の校庭では筋力トレーニングにも協力してくれた。メッセージは「進路は絵莉が好きなようにしてください」と書き出しながら、こう締めくくられた。「けがに気をつけて誰よりも練習してください。絵莉が一番を取れる日を願っています」

 「いつもはふざけている父だけど、肝心な時は一つ一つの言葉が重い」。娘に判断を委ねながらも、歩んだ道を究めてほしいという思いが伝わった。「大学でも続けよう」。翌年の二〇一二年世界選手権で銀メダルを手にし、その翌年から世界選手権三連覇と栄光の道が始まった。

 この春、至学館大を卒業して社会人に。卒業論文には、小学生の時につけていたレスリングノートに父が勝手に書き込んだ言葉を引用した。「意識の差が結果の差。目標あって結果あり」。母の安津子さん(52)も、全ての試合をビデオ撮影しながら応援してくれた。世界へと目を向けてくれた両親に輝くメダルを贈った。

 (鈴木智行)

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