紙面から

敗戦、恩師の死…いっぱい泣いて最後に笑顔 21歳・土性選手

レスリング女子69キロ級で金メダルを獲得し、笑顔で栄和人チームリーダー(右)に駆け寄る土性沙羅選手=17日、リオデジャネイロで(内山田正夫撮影)

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 あきらめない魂をマットで見せつけた女王たちをたたえる三つの金メダルが輝いた。リオデジャネイロ五輪のレスリング女子で十七日(日本時間十八日朝)、次々と演じられた大逆転劇。主役となった伊調馨(32)、登坂(とうさか)絵莉(22)、土性(どしょう)沙羅(21)の三選手のスリリングな戦いを、日本中が固唾(かたず)をのんで見守った。

 日本勢三連続となる優勝を決めると、厳しい練習で鍛え上げた太い両腕を突き上げた。69キロ級を制し、日本女子で初めて重量級で頂点に立った土性沙羅選手=三重県松阪市出身、至学館大四年=には、「重いし、大きい。見た目もかっこいい」金メダルを真っ先に報告したい恩師がいる。

 五輪四連覇に挑む吉田沙保里選手(33)の父で、二〇一四年に亡くなった栄勝さん=享年六十一。土性選手にとって、小学二年のころから津市のレスリング教室「一志ジュニア」で指導を受けたマット上の“父”だ。

 リオでもたびたび見せた低くて速いタックルは栄勝さんの直伝。たたき込まれた「攻めのレスリング」で世界の頂点にたどり着いた。

 栄勝さんが亡くなった時は東京で合宿中。知らせを聞いても信じられなかった。間もなく、合宿所に写真と花束が置かれたのを見て「本当なんだ」と堰(せき)を切ったように涙があふれた。

 練習中は鬼のように怖かった。「やる気がないならもう来るな」。小学生だ。そんなふうに言われ、母の祐子さん(47)へ何度もやめたいと頼んだ。でも、自分で伝えるよう言われ、怖くてできなかった。「あの時、やめなかったから今がある。続けて本当に良かった」。今は心底、そう思える。

 高校進学で三重を離れてからも、大会を見に来ている先生の所に行けば、ピンと背筋が伸びる。「もう習性ですね。それがないとなにか落ち着かない」。初めて出た一三年の世界選手権では、銅メダルに終わり、悔し泣きした。その時も横で静かに見守ってくれたのが栄勝さんだった。

 土性選手は試合前、必ず人気バンド「BUMP OF CHICKEN」の「sailing day」という曲を聴く。心を落ち着かせるために始めたルーティン。「たった一度笑えるなら、何度でも泣いたっていいや」というフレーズが気に入っている。

 試合で敗れた涙、恩師を亡くした涙…。何度も流してきた涙は最高の舞台で、最高の笑顔に変わった。

 「私も沙保里さんみたいに五輪の金メダル取りました」。日本に戻ったら、ピンと背筋を張って、墓前に報告するつもりだ。

 (植木創太)

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