紙面から

努力の天才、力走 陸上女子5000、鈴木

陸上女子5000メートル予選苦しげな表情でゴールする鈴木亜由子選手(右)=16日、リオデジャネイロで(佐藤哲紀撮影)

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 試練を乗り越え、大舞台に立った。リオデジャネイロ五輪で十六日、足の違和感で陸上女子1万メートル出場を見送った名古屋大出身初の五輪選手、鈴木亜由子選手(24)=愛知県豊橋市出身、日本郵政グループ=が5000メートル予選に登場、力走を披露した。

 初の五輪は、あっけなく幕を閉じた。陸上女子5000メートル予選二組。直前合宿で左足に違和感を訴えた名大出身初のオリンピアン、鈴木選手は「思い切って走ろうと思った」とスタートから果敢に先頭を走ったが、中盤以降にペースを上げた外国勢についていけない。顔をゆがめてフィニッシュしたが、決勝進出ラインは遠かった。

 二十歳の私は身長一五五センチになっていますか−。母由美子さんは、愛知県豊橋市の自宅を掃除中に一通の手紙を見つけた。それは中学生の鈴木選手が、授業で成人した自分に宛てたものだった。

 「体育教師になりたいということになっていますが、陸上を続けられていますか。一度は『Japan』をつけて走ってみたいと思います」と続くという文面に、由美子さんは「あの子らしい」とほほ笑む。全国二冠に輝き、その名を広く知らしめた中学時代。それでも五輪を含めた大きな夢をはっきりとは語らず、「体育教師」という目標の影に思いを忍ばせた。

 あこがれを胸に秘めた少女は、その後に待ち受けた困難を、ひた向きに乗り越える。時習館高(愛知県豊橋市)時代に右足甲を二度疲労骨折。マンツーマンで復活の道を進んだ元高校教諭の夏目輝久さんは、地道で苦しいリハビリを黙々とこなした鈴木選手の姿を思い起こし「亜由子は努力の天才です」。関わった多くの人が同じフレーズを口にした。

 高校卒業後、名大経済学部に進んだ。「社会人としても通用する人間になりたい」との思いがあった。名古屋市内で一人暮らしをし、男子選手らとも練習を重ねた。四年の夏、ユニバーシアード女子1万メートルで金メダルを獲得し、世界で頭角を現した。

 控えめだが、しんは強く、ひたすらに実直。愛知・東三河地方で指導者人生を歩んできた夏目さんは「陸上競技の神様が、最後の最後に出会わせてくれた『贈り物』」と目を細める。

 二十四歳の夏、身長一五五センチとなった鈴木選手は「Japan」のユニホームに身を包み、応援してくれる人たちの思いを背負い、五輪のトラックを駆けた。望むような結果ではなかったが、見守った全員は拍手を送ったはず。なぜなら、ここまでの努力を知っているから。(高橋隆太郎)

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