紙面から

どん底から跳躍 跳馬銅の白井選手 

体操男子跳馬で銅メダルを手にする白井健三選手=15日、リオデジャネイロで(内山田正夫撮影)

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◆つらい中学時代乗り越え今に

 若きエースの瞳に自信がよみがえった。「昨日の床で悔しい思いをし、そこまで自分に期待していなかった。だけど、こういう形で練習の頑張りが返ってくるんだなと思った」。跳馬で新技を披露して銅メダルをつかんだ白井健三選手(19)。失意から立ち直った経験があるからこそ、大舞台でも試練を乗り越えられた。

 「死にかけの状態だった」。中学、高校時代のコーチだった水口晴雄さん(56)は、指導を始めたころの姿を思い出す。今の天真らんまんさとは真逆。表情から生気が失われていた。

 小学校時代に通ったクラブは、基礎の反復が中心。三歳で体操を始めてから好奇心の赴くまま技を覚えてきた白井選手には、刺激に欠けた練習が苦痛だった。「演技をやる前から結果が分かると思うと、一歩が踏み出せなかった」

 しばしば無断で遅刻し、練習が終わるまで立っているだけの日も。中学校入学と同時に両親が開いた鶴見ジュニア体操クラブ(横浜市)に移ったころには「体操が楽しく思えず、やめようと思った」。

 ロンドン五輪に出場した田中三きょうだいらを教えた水口さんは、才能を惜しみ「私が面倒を見たい」と鶴見にきた。最初は乗り気ではなかった白井選手も「挑戦するのが好きな僕の性格を分かっていて、僕よりも攻める先生」とやる気を引き出された。

 後に自身の名がつくオリジナル技を次々と習得し、世界に飛び出した。つらかった昔のクラブの経験も「あの時期に基礎を積み重ねたから今がある」と思えるようになった。「人生、山あり谷あり。いろんな出会いがあって今につながっている」

 初めての五輪は、団体総合の金と合わせてメダル二つ。「難しい技をここで決めたのは自信になった。努力した分が運として回ってきた」。これからはもっと幹の太いアスリートを目指す。(鈴木智行)

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