紙面から

山部選手、公私支えたコーチに恩返し  

柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得し、薪谷翠コーチ(右)と引き揚げる山部佳苗選手=12日、リオデジャネイロで(佐藤哲紀撮影)

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 柔道女子78キロ超級の三位決定戦。畳に上がる山部選手の背中を薪谷翠コーチは感慨深く見送った。「いつもは負けた瞬間に『もう嫌だ』ってなっていたけど、珍しく『行くぞ』という感じがして…」。世界一を狙える実力を持ちながら、気持ちの弱さを指摘され続けてきたまな弟子の変化に試合後は「成長したと思う」と涙が止まらなかった。

 十歳年下の山部選手と師弟関係を結んだのは四年前。同じ実業団チームに所属し、二人三脚で強化してきた。

 薪谷コーチは現役時代、両膝の靱帯(じんたい)断裂を克服し、二〇〇五年の世界選手権の無差別級を制した努力の人。気分屋な一面もあった山部選手について「性格が正反対で理解するのが難しい」と苦笑する。時に妥協や甘さを見せる山部選手に「それじゃ勝てないよ。目指しているのはどこなの」と諭して精神的な成長を促した。

 生活面も支えた。お互いの自宅が近く、薪谷コーチが食事をこしらえた。野菜嫌いの山部選手のために具材を細かく切るなどして工夫。鳥とダイコンの煮物が好物だったという。周囲から「甘やかしている」との批判も聞こえたが、薪谷コーチは「私より山部が気にした。かわいそうで、じゃあ結果を出させてやらないと」とサポートに徹した。

 リオ五輪の代表争いで山部選手はライバルの田知本愛選手に選考の終盤まで後れを取っていた。けがも重なり、「柔道やりたくない」と弱気になるまな弟子に向き合い、根気よく奮起を待った。

 薪谷コーチの現役時代はアテネ五輪金メダリストの塚田真希・現日本代表コーチが国内一番手。自身の五輪出場はかなわなかった。「(自分の思いを)託すと重荷になるだろうけど、託したい」。それに応えた山部選手は「自分を代表にするのは大変だったと思う。銅メダルだけど、先生にメダルを渡せて良かった」と感謝した。

 (井上仁)

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