紙面から

未完の大器、躍進  原沢選手、大学で進化

柔道男子100キロ超級決勝フランスのテディ・リネール選手に敗れ、手を合わせて引き揚げる原沢久喜選手=12日、リオデジャネイロで(今泉慶太撮影)

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 四年前のロンドン五輪を、男子100キロ超級の原沢選手はあまり覚えていない。柔道の日本男子が史上初めて金メダルを逃して話題になったが、「人ごとのような感じで見ていた。自分が代表になるなんて思ってもみなかった」。遅れてきた大器が銀メダルを手にした。

 幼いころから歩みはゆっくりだった。柔道を始めたのは六歳の時。特に目立つこともなく、母の敏江さんは「友達と一緒で楽しいから道場に行っていた。強くなりたくて努力して、というわけでもなかった」。体形は細く、中学では入学時に60キロ級、三年で66キロ級。成績は県大会三位が最高だった。

 「弱かったし、高校を卒業したら柔道をやめるつもりだった」。それが山口・早鞆高二年のころから急激に体が大きくなり、一日五回の食事で体重も増量。100キロ超級になった三年時には全国大会で成績を残せるようになった。日大進学後、まじめな性格もあって才能が開花した。

 世界を意識するようになったのは、二〇一三年の全日本選手権で準優勝してから。「五輪が見えてきて、勝ちたい気持ちが強くなった」。一気の追い上げで国際大会で七連勝を果たし、日本の重量級の中心となった。

 リオでは金メダルこそ逃したが、自身の完成度は「まだ半分を越えたくらい」。発展途上の二十四歳は「もっともっと、上を目指してやっていく」とさらなる飛躍を誓った。

 (井上仁)

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