紙面から

「おじいちゃん子」水谷選手 天国へ報告

世界卓球選手権でメダルを獲得し祖父の鈴木暁二さん(左)の肩を抱く水谷隼選手=2009年5月、横浜アリーナで(家族提供)

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 リオデジャネイロ五輪の卓球男子シングルスで銅メダルに輝いた水谷隼(じゅん)選手(27)=静岡県磐田市出身=には、快挙を真っ先に報告したかった人が天国にいる。二年前、八十二歳で亡くなった祖父、鈴木暁二(きょうじ)さんだ。

 幼いころ、両親の厳しい指導に嫌気が差すと、静岡県磐田市の実家の前の道路を挟んで向かいに住む祖父の家に逃げ込んだ。「本当によく行っていた。僕はおじいちゃん子。今でも世界一尊敬している」。いつでも優しく包み込んでくれ、唯一、甘えられる場所だった。

 母親の万記子さん(54)から「誕生日プレゼントは何がほしい?」と聞かれ、「じいちゃんの家まで地下を掘ってほしい」と真剣に答えたこともある。

 試合で弱気になったとき、観客席を見上げれば必ず祖父がいた。「隼、頑張れ!」と声援を送ってくれる。応援団長として海外の大会にも来てくれた。

 その祖父から口ぐせのように言われたのが「感謝の気持ちを絶対に忘れるな」だった。しかし、「頭では分かっていても、しっくりこなかった」という。

 二〇一四年一月の全日本選手権。がんを患った祖父は「一度でいいからベンチコーチに入りたい」と願った。卓球経験はない。ましてや日本一を決める大舞台。水谷選手は周囲の反対を押し切り、「初戦ならいいよ」と快諾した。近くにいるだけで心強かった。

 それから五カ月後の六月、最愛の祖父は天国へ旅立った。海外遠征中だった水谷選手が帰国するのを待って葬儀を行った。

 祖父が亡くなってから、分かってきたことがある。「周囲の支えがあるから卓球ができる。自分のためでなく、みんなのためにプレーする気持ち。それが動機づけになり、原動力になっている」

 銅メダルを決め、派手なガッツポーズを見せた後、水谷選手はインタビューでこう言った。「きょう、たくさんの方に支えられて自分の夢がかなったので、こんどは団体でメダルを取って皆さんの夢をかなえたい」

 本当に強くなるためには何が大切なのか。祖父が教えてくれた感謝の意味をかみしめ、たどり着いた勝利だった。 (森合正範)

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