紙面から

輝く銅は最高の恩返し 卓球の水谷選手「両親見返す」強さの源

父の信雄さん(左)に卓球を教わる幼いころの水谷隼選手。両親の厳しい指導が強さの源となった=静岡県磐田市の自宅で(水谷選手の両親提供)

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 表彰台に上がると、故郷の山が目に浮かんだ。「富士山よりも高かった」。日本卓球界に新たな歴史を刻む銅メダルをつかんだ水谷選手は、幼いころから静岡県磐田市の自宅にある卓球台で両親と腕を磨いた。

 卓球経験のある父信雄さん(56)、母万記子(まきこ)さん(54)の指導は厳しかった。五歳で卓球を始め、小学二年で全国一位になると、朝も夜もラケットを振った。「怒られた記憶しかない。心の中ではやめたいと思っていた」

 一度だけ、両親に本心を伝えたことがある。中学一年のとき、厳しさに耐えきれなくなり、「卓球なんて一生やんねぇ」と言い放った。これで決別できたと思っていたら、次の日もいつも通り「じゃあ練習に行こうか」。監督の父、コーチの母は絶対的な存在。「はい」と従うしかなかった。

 柔らかなボールタッチは天性のもの。非凡な才能は、容赦ない指導でさらに開花した。「スパルタだったから嫌々でも練習した。絶対に試合に勝って、親を見返してやる気持ちだった」。当時を思い返すと、いまでも悔しさがよぎるほど。その気持ちが、嫌いなはずの卓球に打ちこむ源となった。

 両親は、地元の卓球教室で子どもたちに指導を続けている。日本のエースに成長した息子の試合観戦が何よりの楽しみ。もう声を荒らげることはない。

 「卓球を始めた時からの夢がかなえられて本当にうれしい」。もう一面の本心を口にした息子の姿をスタンドから誇らしげに見つめた。「最高にうれしい。『やったな』と声をかけたい」と信雄さん。万記子さんは「感無量です。これまでお世話になった方への恩返しになる」と声を震わせた。

 (宿谷紀子)

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