紙面から

羽根田、カヌー銅 日本人で史上初、豊田出身

男子スラローム・カナディアンシングル決勝で3位となり、カヌー競技で日本人初のメダルを獲得した羽根田卓也=9日、リオデジャネイロで(佐藤哲紀撮影)

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◆矢作川原点、歴史刻む

 愛艇に乗ったまま、声を上げて泣いた。リオデジャネイロ五輪のカヌー・スラローム男子カナディアンシングル決勝。全選手のタイムが確定し、羽根田卓也(29)がアジアの代表選手として初めて銅メダルをつかんだ。世界で競ってきた戦友たちがこぎ寄り、肩をたたいて祝福する。「タクヤ、歴史をつくったな。おめでとう」。メダリストは「ありがとう」と応え、また顔を覆った。

 カヌー選手だった父に命じられて競技を始めた幼い日、練習場所は豊田市の自宅から約十数キロの矢作川や巴川だった。はじめは嫌々だったが、二つの川が水面を滑る楽しさを教えてくれた。

 「流れが穏やかな川では欧州の選手に勝てない」。故郷の川を飛びだそうと決めたのは十一年前、杜若(とじゃく)高校(豊田市)三年の時。チェコで開かれた大会で欧州の選手に惨敗し、その日のうちに父に手紙を書いた。「世界で戦うために、欧州へ留学させてほしい。必ず、メダルを首にかけてみせます」

 「一人前の社会人になるつもりなら、いい。日本人が群れていない国へ行け」。父が渡航を許したのは、カヌー強国スロバキアの片田舎だった。片言しか話せない英語でコーチを探し、懸命にスロバキア語を覚えながら暮らした。

 それから十年。トレーニングや調整方法を学び、日本にはない機械で急流をつくり出す人工コースをこぎ回った。試合後、これまでの道のりのすべてが報われた気がして、感情があふれ出した。「ヨーロッパに渡ってトレーニングする決断をしなかったら、この場にはいなかったと思う」

 (中野祐紀)

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