紙面から

葛藤を越えて 柔道男子金の大野選手、処分糧に

柔道男子73キロ級で優勝し、金メダルを手に笑顔の大野将平選手=8日、リオデジャネイロで(共同)

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柔道女子57キロ級3位決定戦の試合後、スタンドの両親らに手を合わせる松本薫選手=今泉慶太撮影

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 失敗や過ちは誰にでもある。柔道日本男子に二大会ぶりの金メダルをもたらした男子73キロ級の大野将平選手も、一度はつまずいた。

 二〇一三年夏に世界選手権を初制覇。リオデジャネイロ五輪に向けて最高のスタートを切った直後、当時主将だった天理大柔道部内の暴力問題が明るみに出た。自身も後輩部員を平手打ちしたとして、世界一を祝福される間もなく大学は停学処分に。全日本柔道連盟からは三カ月の競技者登録停止処分を科され、学内での稽古も禁じられた。

 近しい人たちは「大野はむしろ上下関係など理不尽な慣習をなくそうとしていた」とかばった。本人は黙して処分を受け入れたが、もんもんとする日々。周囲の視線と「天国から地獄」という声が胸に刺さった。山口市に帰省し、母の文子さんに「もう柔道をやめようかな」と弱音も漏らした。

 ただ、少年時代に通った道場で子どもたちに胸を貸すと、喜々として向かってきてくれた。幼なじみや地元の人々が自分を誇りに思っていることを感じ、意欲を取り戻した。「俺は大丈夫。ゼロからやり直してもまた一番になれる」。少年時代に指導した松美柔道スポーツ少年団団長の植木清治さんは、自らに言い聞かせるような大野選手の言葉が忘れられない。文子さんには「東京五輪まで頑張ってみるよ」と決意を伝え、新たな一歩を踏み出した。

 処分が解かれた後も清掃活動などに従事し、リオ五輪の選手村でも落ちているペットボトルを拾い集めた。一四年の世界選手権で連覇を逃すと、文子さんに「勝ってみんなを喜ばせたい」と泣きながら電話した。自分のためだけでなく、支援者への感謝を込めて戦う。天理大の穴井隆将監督は「(処分は)マイナスではなく、むしろプラスだった」と話す。

 葛藤を乗り越えての戴冠。大野選手は「最強かつ最高の選手、金メダルにふさわしい人間に成長しなければいけないと思う」と力強く話した。

 (井上仁)

◆柔道女子銅 松本選手「すきが…」

 重圧か、油断か−。畳に転がされ、起き上がったその顔は感情を置き忘れたかのようにこわばっていた。柔道女子57キロ級で五輪二連覇を狙った松本薫選手(28)=金沢市出身、ベネシード=が銅メダルに終わった。準決勝の開始24秒に背負い投げを掛けられ、一本負け。三位決定戦は勝利したが「一瞬のすきをつくってしまった」と唇をかんだ。

 ロンドン五輪では、柔道で日本勢唯一の金メダル。それから四年間、道着に五輪王者だけが許される金色のゼッケンを背負った。「みんなが求める自分にならなきゃ」。いつしか、自らを追い詰めていた。各国からマークされ、代表の谷本歩実コーチ(35)に「みんなに研究されている」と涙ながらにこぼしたこともあった。

 吹っ切れたのは昨年七月の国際大会。三位決定戦で先にポイントを取られ、追い詰められたとき、心の底から、わき上がってきた思い。「勝ちたい」。逆転勝ちした後で気付いた。「答えなんてない。何で人間なの?と聞かれても答えられないのと同じ。勝ちたいから勝つ」

 あんなに重荷だった金色のゼッケンも自然と受け入れられた。「背中は自分では見えない。目の前の相手だけを見ればいい」と今では胸を張れる。

 ただ、それでも一番欲しいメダルは手をすり抜けていった。「やり残したことを言い出したらきりがない」。今度はあのゼッケンを取り戻す。「勝ちたい」理由がまたひとつできた。

 (兼村優希)

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