紙面から

中村、重い重い銅 悔しさ、感謝…思いぎっしり

表彰式で、銅メダルをかけた中村美里選手=7日、リオデジャネイロで(内山田正夫撮影)

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 「勝っても笑わない」。柔道女子52キロ級の中村美里選手(27)は、そう言われる。十九歳で初出場した二〇〇八年の北京五輪。銅メダルを胸に「金メダル以外は同じ」とぶぜんとした表情で語る姿が強い印象を与えた。「金メダルを取って心の底から笑いたい」。そう誓って臨んだ三度目の五輪だったが、表彰台からの眺めは悔し涙でにじんだ。

 小学生のころから「五輪に行く」と宣言していた中村選手。中学二年だった〇三年、全国中学校大会で優勝した際、父親の一夫さん(53)にくぎを刺された。「おまえ、五輪が目標なら、中学の全国大会で優勝したくらいでヘラヘラしてんじゃないぞ」。以来、試合後はすぐに口元が引き締まるようになった。

 北京からの四年間は金メダルだけを見据えて柔道漬けの日々を送り、満を持して臨んだ一二年ロンドン五輪でまさかの初戦敗退。その年十月に古傷の左膝にメスを入れたのは「今後の生活のため」で、目標が定まらないままリハビリの日々。「引退」の二文字が頭をよぎることもあった。

 ただ、リハビリ中に知り合った他競技の選手が復帰する姿に刺激を受け、徐々にリオへの意欲が膨らんでいった。一三年十二月に再手術を受け、結局二年間は満足な状態で柔道ができなかったが、「いろいろな経験をして、多くの人に会って、すごく幅が広がった」。所属先では主将を任され、畳を下りれば穏やかな笑みで周囲を和ませる。

 二大会ぶりの銅メダルは「すごく重みがある」と中村選手。成長した自分でも勝てなかった悔しさ、支えてくれた人たちの思い。表彰式で笑顔は見せられなかったが、「すごく充実した四年間だった。やってきて良かった」という言葉は力強かった。

 (井上仁)

スタンドから娘の勇姿を見届け、拍手を送る中村美里選手の両親=7日、リオデジャネイロで(共同)

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◆まな娘と一緒 父、畳に一礼

 「ブラジル、ブラジル」。ポイント一つで即座に勝負が決まるゴールデンスコアの延長戦にもつれた柔道女子52キロ級の三位決定戦。会場の声援は圧倒的に相手のブラジル選手のものだった。

 中村美里選手の父・一夫さんは負けじとスタンドから何度も何度も叫んだ。「最後だぞーっ」

 試合時間があとわずか、という意味ではない。「年齢的に、東京五輪は難しいでしょうから…。最後だと思って、しっかりと目に焼き付けました」と一夫さん。

 “最後”は鋭い大内刈りで有効。銅メダルが決まると一夫さんは、三大会連続出場のまな娘と一緒に畳に向かって一礼した。隣で母・美智代さんが目を真っ赤にして、声を震わせた。「大好きな柔道だからここまでできたんだと思う。本当に、お疲れさま」

 (中野祐紀)

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