紙面から

萩野少年、名古屋で泳ぎ磨く 小1で転入、バタフライ習得

2005年の愛知万博の際、名古屋に来た時に水泳クラブの旧友たちと写真に写る萩野選手(前列右から2人目)=名古屋市内で

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 競泳男子400メートル個人メドレーで日本選手初の金メダルを獲得した萩野公介選手(21)。四泳法をこなす器用な鉄人の原点は小学一年の夏、父親の洋一さんの転勤で栃木県小山市からやってきた名古屋市にある。

 同市中村区にあったスイミングスクールへ移ったのだが、入校の条件が「四泳法を泳げること」。まだバタフライが泳げなかった六歳の萩野少年は必死に練習し、習得した。この高いハードルが個人メドレーとの出合いを早めてくれた。

 「それがなかったら今の自分はいない」。萩野選手がそう振り返るほど名古屋での生活は充実していた。コーチだった八木(旧姓祖父江)未来さんは「速いし、頑張る。選手コースは毎日練習があって、土日や長期休暇には朝練もあるが、嫌がるそぶりを全く見せない。みんなにもかわいがられていた」。休憩時間にコーチたちに抱っこされていた「萩ちゃん」を、いとおしそうに思い出す。

 送迎した母親の貴子さんは練習の待ち時間に他の母親と通った喫茶店でのおしゃべりが懐かしい。今でもみそカツサンドが大好物。スイミングでも通学した御器所小学校(同市昭和区)でも、多くの友人に囲まれた。

 「私たち親子にとって、名古屋は本当に素晴らしいところでした」と話す貴子さんは、萩野選手が小学二年の三月に小山へ帰ることが決まると八木さんと抱き合って泣いた。そんな極上の幸福感が、金メダルへとつながる競泳人生の大きな糧となった。(リオデジャネイロ・高橋隆太郎)

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