紙面から

平和の祭典忘れないで ブラジル在住の被爆者ら訴え

「五輪が平和の祭典だということをもう一度かみしめて」と訴える森田隆会長(右)

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 五日夜(日本時間六日朝)のリオデジャネイロ五輪の開会式と同じ時刻、広島市では「原爆の日」の平和記念式典が催される。原爆が落とされたあの日から七十一年の時を隔てての偶然。国際オリンピック委員会(IOC)に対し、開会式で一分間の黙とうを求めてきたブラジルの被爆者団体は「五輪が単なるスポーツではなく、平和の祭典であることを忘れないでほしい」と訴えている。

 リオと日本の時差は十二時間。五輪開会式の幕が上がる五日午後八時は、平和記念式典の開始時刻の六日午前八時とぴたりと重なる。

 五月のオバマ米大統領の訪問で「ヒロシマ」への世界の関心が高まったこともあり、ブラジル在住の日本人と日系ブラジル人の被爆者ら九十九人でつくるブラジル被爆者平和協会(サンパウロ)は六月、IOCに開会式での黙とうを要望。インターネットに日、英、仏、スペイン、ポルトガル語で声明を載せたところ、各国の個人、団体から賛同の声が相次ぎ、IOCにメールなどで実現を働き掛ける運動へ発展した。

 IOCからは七月下旬、「閉会式でスタジアムと世界中の人が思いを共有する瞬間を設ける」との返答があった。開会式では難しいとみられるが、二十一日夜(日本時間二十二日朝)の閉会式で何らかの関連行事が実施される可能性がある。

 協会の森田隆会長(92)は、広島市出身の被爆者。憲兵として故郷に着任して一週間後、爆心地から一・五キロの所で爆風にさらされ、大やけどを負った。

 生活が苦しかった戦後の一九五六年、新天地を求めてサンパウロに移住。時計職人として働き、念願だった食品店を開いた八四年、仲間を募って協会をつくった。「私は、あの惨劇の中でなぜか生かされたソルチ(ポルトガル語で幸運の意)の男だから、やるべきことがある」。以降、在外被爆者への支援拡充や、ブラジル各地での講演活動などに取り組んできた。

 「私たちが声を上げたことで、少しでも平和と反原爆のメッセージが広がるなら、うれしい」。そう語り、やけどの痕で白く変色した頭皮をなでた。

 (サンパウロで、中野祐紀、写真も)

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