紙面から

浅野、大家族が支え サッカー代表、三重・菰野出身

ナイジェリア戦に向け調整する浅野拓磨選手(中央)ら日本イレブン=3日、マナウスで(共同)

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 日本選手団が出場する全競技のトップを飾る“開幕試合”で、攻撃の切り札と目されるのが浅野拓磨選手だ。途中出場ながらゴールを量産してきた快足フォワード(FW)は七人きょうだいの三男。「目指すのは一番いい色のメダル」と、両親への恩返しを誓う。

 両親に兄二人、弟三人、妹一人の大家族。兄弟は全員がサッカー選手で、誰が最初にプロになるのかを競うライバルだった。浅野選手は「プロなんて無理って考えがよぎっても、兄弟で言い合ううちに『負けられない』と奮い立てる。それが僕が頑張り続けられた理由」と語る。

 父の智之さん(50)はトラックの運転手。母の都姉子(としこ)さん(50)も子育てしながらパートで働いてきたが、育ち盛りの息子六人を抱える家計は火の車。智之さんは「旅費が出せず、チームの遠征に行かせてやれない時もあった。タクには何度も寂しい思いをさせた」と振り返る。

 三重県立四日市中央工業高校時代に全国選手権で得点王となり、プロへの道を切り開いた浅野選手だが、もともとは、サッカーが強くはない別の高校へ進むつもりだったという。強豪校は各地への遠征費など、何かとお金がかかるからだ。

 だが、そんなわが子に両親は言った。「プロになるんでしょ。なんとかするから、四中工へ行きなさい」

 卒業間近の十五の冬。浅野選手の中で、プロになるという思いは「夢」から「義務」へと変わったという。

 高校卒業後にサンフレッチェ広島に入り、日本を背負うと期待されるホープに成長。今年七月にはサッカーの母国、イングランドの強豪アーセナルへ移籍も果たした。そして世界が注目するリオ五輪。「悔しいこと、苦しいことはたくさんあった。そんな時、支えてくれたのが家族だった。感謝を胸に百パーセントで頑張りたい」。一九六八年のメキシコ大会の銅以来となるメダルを持ち帰れたら随分、大きな恩返しになりそうだ。

 (ブラジル北部マナウスで、植木創太)

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