紙面から

双葉のみんな メダル取るよ 福島出身・ケイリン渡辺選手

故郷への思いを胸に、リオ五輪でのメダル獲得を誓う渡辺一成選手=7月9日、静岡県伊豆市の競技場で

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 【リオデジャネイロ=宿谷紀子】「メダルを取って町のみんなを喜ばせたい」。開幕秒読みのリオデジャネイロ五輪で、自転車の男子ケイリンに出場する渡辺一成選手(32)が、そんな思いを込めてペダルをこぐ。事故を起こした東京電力福島第一原発の地元、福島県双葉町の出身。放射能に汚染されたまま、戻れるめどすら立たない故郷のために「最後の五輪」と決めたリオでメダルを目指す。

 高校卒業後に競輪選手の養成学校に入り、プロデビュー。原発事故発生時は、世界選手権の開幕を控えて東京で合宿中だった。

 双葉町の実家は、原発から三・五キロ。家族にけがは無かったが、着の身着のまま車で避難を強いられた。母の知子さん(63)は「すぐに帰れると思って貴重品しか持たなかった」と振り返る。

 その後、原発から半径二十キロ圏は警戒区域に指定され、立ち入り禁止に。知子さんらが一時帰宅できたのは四カ月後だった。放射線量が高く、防護服に身を包んでも二時間しかいられない。荷物の持ち出しはビニール袋一つ分に制限され、真っ先に渡辺選手のアルバムと競技関係の記念品を入れたという。

 「復興のために何もせず、レースを続けていいのか」。震災後、迷う渡辺選手に「走る意味」を与えてくれたのは、双葉町の人たちだった。

 「みんなが顔見知りって感じ」という小さな町。「頑張れっ」「おまえが勝つと元気が出る」。長期化する避難生活の中、大勢の友人や知人が、電話やメールで励ましてくれた。「故郷のためにできることは、走ること」。そう気付かされた。

 北京五輪(二〇〇八年)に続き、震災後のロンドン五輪(一二年)にも出場したが、チームスプリントで八位、ケイリンでは十一位と、満足のいく結果を残せなかった。

 それから四年、故郷は立ち入り禁止のまま荒れ続けている。渡辺選手は「ひどい現状を見ると心が折れるかもしれない」と、実家の様子を見に行ったこともない。

 だが、だからこそ、故郷のために成し遂げたい。「何色でもいい、絶対にメダルを取る」

 ロンドン後、誰にも負けない厳しいトレーニングを積んできた。年齢的には東京五輪(二〇年)も狙えるが、渡辺選手は決めている。

 「東京を考えたリオと、考えないリオとでは、出せる力が違う。集大成のレースにすべてをぶつけて、最高の結果を出したい」。退路を断ち、前だけを向く。その先に、少し違った故郷が見えると信じている。

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