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三重

<争点 現場を歩く>(上)憲法改正

2019年7月10日

陸上自衛隊の明野駐屯地に着陸する米軍輸送機オスプレイ=2月、伊勢市で

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 21日投開票の参院選は、安倍政権の6年半が問われる選挙でもある。憲法改正や地方創生、消費税増税の是非など、議席を争う政党や候補者に、有権者の声は届いているのか。争点の現場を歩いた。

◆「やるべきこと変わらない」元自衛官 

 名前が呼ばれると、大きな声で返事をし、立ち上がった。県内、愛知、北海道、大分…。津市の陸上自衛隊久居駐屯地で六月下旬、百二十二人の自衛官候補生が修了式に臨み、赴く任地の発表を聞いた。

 愛知県の部隊に入る桑名市出身の男性(32)は、携帯電話販売店の店員だったが、災害現場で活躍する自衛隊員をテレビで見て「困っている人を助けたい」と思い立った。三カ月間の訓練を「苦労は多かったが、仲間がいて乗り越えられた」と振り返っていた。

 元陸上自衛官の男性は、二十年ほど前まで県内の駐屯地で働いた。十八歳で自衛隊に入ったとき、「事に臨んでは危険を顧みず、国民の負託にこたえる」という宣言に署名をした。

 退職後も、有事には被災地などへ赴く「即応予備自衛官」として年三十日の訓練に取り組む。「いつだって国のために命を投げ出すことを覚悟している。自衛隊が憲法九条に明記されてもされなくても、その思いは変わらない」

 最近、参加した訓練では「遺書を書いて訓練に臨む」という内容もあった。野外で二日間過ごし、自宅に帰った。ベッドで真っ白なシーツに横になると、込み上げてくる思いがあった。「安心して眠れる日常は、銃を持って日々訓練をする昨日までの自分のような自衛官がいてくれてこそ」

 安倍政権は二〇一四年、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認し、一五年には安全保障関連法を成立させた。自衛隊は他国を武力で守ることが可能となり、世界中で米軍を支援できるようになった。

 この参院選で自民党は、憲法改正の実現を公約の重点項目に掲げる。安倍晋三首相は公示日の四日、福島市で「憲法に自衛隊を明記する」と力説した。

 元自衛官は「憲法改正で世間から軍隊と言われようが、やるべきことは変わらない」と言う。かつて自衛隊の任務が国連平和維持活動(PKO)などに拡大した際も、現場での変化を感じることはなかった。

 「平和を守り、未来を創る」「『理想の自分』を追求できます」−。自衛官募集のチラシは、こう記す。

 自衛隊三重地方協力本部の採用担当者は「戦闘と結び付け、大変で危険というイメージを持つ人が多い。さまざまな職種もある自衛隊の本当の姿を知ってもらうことが課題」と話す。

 元自衛官は「九条明記で揺れる中で入隊すれば、論争の矢面に立つ。なり手不足がさらに深刻化しないか」という。産業界のように外国人には頼れない。「日本人だけで構成する自衛隊はこの先、苦難の歴史が待っている」と案じている。

 (斉藤和音、上井啓太郎)

◆陸自駐屯する伊勢 

<賛成> 認めてあげればいい

 陸上自衛隊明野駐屯地(伊勢市)の近くで四十五年間暮らしてきた元自治会長の増永徳久さん(72)=同市小俣町明野=は、憲法九条に自衛隊を明記する自民党案に賛成する。「日本の国にとって自衛隊は必要な組織なのだから、憲法に書いて認めてあげればいい」。参院選では自民党に一票を投じるつもりだ。

 自宅では自衛隊のヘリが訓練で離発着する音がいつも聞こえてくる。二月には米軍の輸送機オスプレイが訓練でやってきたものの「日本と米国で話し合って決めたことだから」と問題視していない。

 近くで暮らすと「自衛隊は地域の安全にも貢献してくれる」との印象も抱く。増永さんが自治会長のころ、不審者の情報を駐屯地の幹部に知らせたら「隊員を地域でランニングさせましょうか」と提案された。自治会では現役や元隊員が会員になり、防災訓練などで多くのアドバイスをしてくれるという。「サバイバルのための知識が豊富だから炊き出しも慣れたもの。他の地域からは自主防災組織の取り組みが充実していると、うらやましがられる」と語る。

<反対> 反対軍国主義の日本ダメ

 中学校の教員だった伊勢市黒瀬町の坂本照子さん(84)は、憲法九条への自衛隊明記に、はっきり反対を唱える。「憲法に明記しなくても行政上は問題なく、これまでも大丈夫だった。今のままで、自衛隊は十分に国民の役に立っている」

 二月のオスプレイ飛来は衝撃だった。明野駐屯地を「自衛隊員が教育を受ける航空学校」との感覚で見ていたのに、危険だと言われるオスプレイが現れたことで自衛隊と米軍の一体化を目の当たりにした。「今までと駐屯地を見る目が変わってしまった」

 中学校の教員をしていたころ、自衛隊員になる教え子を見送ることもあった。「国を守る仕事は尊いけれど、いざとなったら逃げて帰ってきてもいいんだよ」と伝えてきた。災害現場で頑張る自衛隊員は応援したいが、戦場には行ってほしくない、と思う。

 一九三四(昭和九)年に生まれ、戦時中を知る世代。四五年にあった伊勢の宇治山田空襲では、火の中を逃げ回った。「戦争が終わって、憲法で戦争をしない国になったことが本当にうれしかった。かつての軍国主義のような日本には絶対にしたくない」と語る。

 (大島康介)

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