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岐阜

<岐阜から考える>(1)もの言えぬ空気

2019年7月10日

新作「時代(とき)の肖像−9条改憲に伴って発布される新しい日本国旗」の前で話す中垣さん。米国の戦争に巻き込まれる恐れを表現した=神奈川県海老名市のアトリエで(稲田雅文撮影)

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 芸術家にとり、作品の改変を強いられることは身を切るようにつらいことだ。美術館で働いているのに分からないのだろうか…。

 飛騨市出身の彫刻家中垣克久さん(75)は、ひどく困惑していた。作品を展示していた東京都美術館の要求は思わぬものだった。

 「撤去するか、手直しをしてください」

 「私は嫌だ」。続けて中垣さんは、黒いフェルトペンを差し出した。「だめと言うのなら、あなたがこれでだめなところを消せばいい」。担当者はペンを受け取ろうとはしなかった。

 二〇一四年二月、自らが代表の「現代日本彫刻作家連盟」の定期展。「時代(とき)の肖像−絶滅危惧種」と題し、竹を組み上げた高さ一・五メートルのドームの天井部分に日の丸、底に星条旗をあしらった作品を出品した。「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止」と書いた紙を張ったのが問題にされた。美術館は、特定の政治や宗教を批判する場合は展示を認めないとする運営要綱を理由に譲らない。

 中垣さんは断腸の思いで紙をはがした。美術館の担当者は、当時、本紙の取材に「こういう考えを美術館として認めるのか、とクレームがつくことが心配だった」と説明している。

 五年前のできごとを振り返る中垣さんは、父親から聞いた戦時中のエピソードが頭をよぎるという。父は思想活動を取り締まる特高警察官だった。神岡鉱山(現飛騨市)で働く朝鮮人労働者を監視する任務などに就いていた。

 幼い中垣さんは、母と岐阜市で暮らしていた。戦局が厳しくなり、母の実家がある飛騨地方に疎開しようと乗っていた列車の車内で兵士たちが豪華な食事をしているのを見た。国民は食うや食わずだというのに。

 この話を、母から聞いた父は職場で言い放つ。「日本は負ける」。問題発言だとされ、自らも憲兵の監視対象にされてしまった。昔のことだと思っていたが、美術館の対応を受けて「また同じ時代は来ない、とは言えなくなった」。

 展覧会から五カ月後、中垣さんが「日本の国を危うくする」と反対していた、集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。

 「もっと慎重に」。岐阜県内では、これが大きな声になっていた。自民党県連が県内全市町村議会の議長に要請文を送り、慎重な議論を求める意見書を各議会で可決するよう求めた。

 この年、県連は衆院解散の動きが出たとき「断固反対」の決議もした。幅広い支持者の声に耳を傾けず、トップダウンで国の針路にかかわる重要な問題を決めていく政権への地方組織からの箴言(しんげん)だった。

 いずれもストップは、かけられなかった。その後、県連幹部から政権をいさめる声はあまり聞かれなくなった。歴史は忘却のかなたへと追いやられてしまったのか。

 集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法を違憲とする集団訴訟が、全国各地で展開されている。原告の一人で元岐阜大講師の寺田誠知(せいち)さん(70)=各務原市=は「安保法制が、地域の分断と混乱を招いてしまった」とため息をつく。

 一四年四月、役員になった自治会で、改憲を求める署名を集めるように言われた。最初は「長いものには巻かれよう」という心境で協力していたが「平和憲法について大学で教えてきた自分が、戦争への道を切り開く動きに協力していいのか。良心の呵責(かしゃく)に耐えきれなくなった」と言う。

 自分の土地に「私たちは『戦争法案』の強行採決を許しません」と書いた看板を立てた。騒ぎになった。親しかった隣人は、別人のようによそよそしくなった。自治会は、分裂状態になった。

 「住民の命を守るため、戦争を起こしてはならないと思うことが、どうしていけないことなのか。戦前のような忖度(そんたく)の空気が広がってはいないか」

 (稲田雅文)

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 政権の評価が問われる参院選で争点になっている、この国の幅広い問題を「岐阜から」考えていきます。

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