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2017年4月15日 紙面から
二十三日投開票の名古屋市長選は中盤戦に入り、各候補ともライバルとの違いをアピールしている。歴代の市長はどんな人で、仕事ぶりはどうだったのか。職員OBらの証言からたどり、「市長のいす」に座るのに必要な“資質”を探ってみた。
戦後の公選市長は計七人。助役から市長に上り詰めた人もいれば、新聞記者や大学教授から転身した例もあり、経歴はさまざまだ。
戦後復興期のかじ取りを担った塚本三(ぞう)氏、小林橘川(きっせん)氏はともに現在の中日新聞社の記者だった。二人は一九五一(昭和二十六)年の選挙で対決し、投票率は過去最高の78・08%。現職の塚本氏が五百五十八票差で再選を果たすなど激戦を演じた。
塚本氏の在職中の病死で、小林氏が二代目公選市長に。小林市長時代の五六年に入庁した元市幹部の男性(85)は、入庁初日、同期の有志と市長室にアポなしであいさつに押しかけたところ、快く会ってくれたことを覚えている。「人の話をよく聞く人だった」と印象を語る。
男性は水道局一筋で働いたが、水道局長から助役を経て市長になった人物が二人いる。杉戸清氏と西尾武喜氏だ。杉戸氏は東大、西尾氏が京大の出身で、男性によると「タイプは対照的だった」。
国への出向期間が長い杉戸氏は、実務型の典型。市長在任は高度成長に向かう時期に重なり、道路など基盤整備に豊富な行政経験や人脈を生かした。
一方の西尾氏はアイデア型。メモ帳を肌身離さず持ち歩き、思い付きや市民から聞いた話を書き留めていた。通称「西尾メモ」と呼ばれた。「街づくりにも熱心で、部下と酒を酌み交わしながらの議論が好きだった」
助役も務めた別の市OBは、同じアイデア型に本山政雄氏を挙げる。元名古屋大教育学部長で、行政経験ゼロで市長になった。「休暇に旅行先の自治体でヒントを得て、休み明けに職員に『こんなのはどう』と提案することも」。名古屋高速の地下化なども立案した。
このOBは、元教育長の松原武久前市長(80)=東海学園大学長=も「どちらかといえばアイデア型」に分類する。「発想をすぐに職員に指示することも。専門の教育以外の施策は職員と一緒に練り上げるタイプだった」と振り返る。
(市長選取材班)