長野

<おらほの自治>(4)合併10年、目覚めの村

2015年3月19日

 平谷村は二〇〇三年の住民投票で七割が合併に賛成したにもかかわらず、すべての自治体に断られ、自立の道を強いられた。小池正充村長は「機会があれば合併した方がいい」と今でも考える。

小水力発電所の取水口が造られる川で事業への思いを語る前島衛さん=飯田市上村で

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 とはいえ、小さな村が合併後に活気を失ってしまうこともある。平成の大合併で望みをかなえた村は今、どうなっているのか。

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 南アルプス麓の山里、日本の秘境百選のひとつに数えられる旧上村は〇五年、飯田市と合併した。

 「合併しないと生き残れない」。村で生まれ育った前島衛(74)は、当時住民の間にあきらめムードが漂っていたと明かす。

 人口は七百人。目立った観光地や大きな利益を生む産業があるわけではなかった。「将来を考えるとやむを得ない」。多くの村民が合併を望んでいた。

 十年たった今、旧上村地区の人口は四百八十人に減り、高齢化率は50%に。数字だけを見ると、状況は厳しくなったようだが…。

 「上村プロジェクト」という計画に、前島は地区の未来を託している。地区全体で住民主体の会社をつくって小沢(こざわ)川に小水力発電所を建設し、売電による収入を住民が求める地域振興策に使うというものだ。

 収入は二十年間で六億円以上を見込む。地元食材を使ったグルメの開発、増え続ける高齢者向けの福祉充実などに投入し、地区を活気づける計画だ。

 きっかけは飯田市の調査。豊富な流量に加え、発電所建設に適した地形であることが分かり、一一年に住民自らの手で「外貨」を稼いで地域の持続につなげようと動きだした。

 計画開始から四年。住民の意識も変わってきた。

 これまでに開いた会合は五十回以上。事業の方向性や収入の使い道などを話し合って決めている。日々の仕事を終えた後、集会場に集まって夜遅くまで議論を重ねた。先行事例から学ぼうと、隣県の岐阜や山梨をはじめ、遠くドイツにまで視察に飛んだ。

 前島は会社の設立準備委員長の立場。事業費三億円の計画実現まであと一歩に迫っているという。「ここまで頑張ってこれたのは俺たちの地域を良くしたいという思いが原動力だ。上村プロジェクトが始まって、住民みんなに上村を良くしていこうという意識が広がっていった」

 山深い旧上村地区に働く場は少なく、昔から若者が仕事を求めて地区を出るのが当たり前になっていた。新産業をつくって若者の流出に歯止めをかけようという発想はなかった。前島は計画の行く末に、「成功すれば新産業が生まれ、人が増えるかもしれない」と期待を膨らませる。

 「大切なのは住民の意識改革だ」。合併から十年を迎え、前島がたどり着いた答えだ。プロジェクトに携わりながら、その大切さを日々教えてもらっている。

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 平成の大合併から十年あまり。地方議会や行政が注目を集める機会はずいぶん減った。いまどき世間をにぎわすのは、地方議員の不祥事くらい。昨年、話題になった「号泣県議」の問題は、長野でもひとごとではないようで…。

(文中敬称略)