長野

<おらほの自治>(3)選挙と言えるのか

2015年3月18日

佐藤さんが自宅前に掲げた「主張」。撮影後、佐藤さんは紙を破り捨てた=平谷村で

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 昨年四月の平谷村議選投開票日の前日、佐藤昭三(あきぞう)(69)は自らの思いを畳一枚分の紙に書き殴っていた。

 選挙が終わってから「主張」と題して、自宅前に張り出した。その一節はこう書かれていた。

 「有権者に対し、なんら情報も流さず、選択の自由を奪って、これが選挙と言えるのか」

 定数八に九人が立候補し、二十年ぶりの選挙戦だった。五日間の選挙中、掲示板にポスターは張られず、選挙カーは走らない。演説会もなく、選挙公報すら配られなかった。いつも通りの静かな村。新聞を見なければ、誰が立候補しているか分からなかった。

 人口五百人足らずの村では、親戚同士のつながりや水面下の交渉で物事が進んでいく。村長選、村議選ともに、候補者のポスターが街頭に掲示されたことはない。長く続くこのしきたりは「親戚選挙」と呼ばれる。

 「羽をもがれた鳥」

 一票差で落選した会社員西川宗一(61)は、選挙中の心境をこう表現する。企業誘致で少子高齢化を食い止めたいとの思いで出馬を決めた。

 しかし、出席した事前説明会で、皆が「ポスターなし。街頭演説なし」のしきたり通りに動くことを知った。

 両親は村出身だが、村外育ちの西川は親戚が少ない。支持を広げようと街頭演説も考えたが、親戚に「後が怖い」と止められた。友人や新住民らに声を掛けることしかできず、二十年ぶりの静かな選挙戦は終わった。

 ある村議は「村民は候補者の人格を知っている。ポスターを張って、ああだ、こうだ言うことはなかった」と内幕を明かす。

 「こんなのは選挙じゃない」。西川は今も納得がいかない。

      ◇

 自宅前に「主張」を掲げた佐藤は十二年前、村出身の友人の誘いで名古屋市から移り住んだ。古くからの住民なら、投票先も決めようがあるが、佐藤のような新住民は蚊帳の外だ。

 思い立った佐藤は、選挙期間中に「今からでいい。ポスターを張ってほしい」と全候補の自宅を回って頼み込んだ。それでも誰も動いてくれず、やむなく自らの一票を行使しなかった。

 村選管委員長の滝沢治郎(82)も候補者に討論会を頼んでいたが、応じる陣営はなかった。「親戚選挙は村の伝統だが、正直、理解に苦しむところはある」と肩を落とす。

 「主張」は一カ月間掲示した後、作業小屋で保管していた。ことし二月、佐藤は自宅を訪れた本紙記者の目の前で、びりびりと破り捨てた。

 「この村の将来はないな」とつぶやいて。

      ◇

 十年前にあった平成の大合併で、村は周辺市町村との合併を探っていた。中学生までを対象にした住民投票で七割以上が合併を望んだが、他の市町村に断られ、自立の道を歩むことになった。

 二十年ぶりの選挙で敗れた西川は言う。「あのとき合併できていたら、村の選挙も変わっただろう」

 (文中敬称略)