長野

<おらほの自治>(2)即席ポスターで当選

2015年3月17日

富井走一さんの自宅に飾ってある選挙当時の写真

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 「君しかいない」

 二〇一三年三月の中ごろ、富井走一(62)の自宅には、同級生らが何度も説得に訪れていた。

 一週間後に野沢温泉村議選(定数八)の告示が迫っていたが、立候補予定者説明会に六人しか出席していなかったからだ。

 欠員が定数の六分の一を超えると公選法の規定で再選挙となってしまう。小さな自治体が多い県内でも、めったにない事態だ。あと一人立候補者が出れば、再選挙を免れる状況で、四年前に落選した富井に白羽の矢が立った。

 政治から身を引いたつもりでいた富井は、かたくなに断ったが、一日に二、三度説得されるうちに色気が出た。

 「ほかに誰も出ないなら」と引き受けたのは、告示前日だった。結果的に、当日に届け出たのは富井を含めた七人。午前中に最後の一人として立候補した。

 家にあったコピー用紙に名前を大書きして百枚を印刷した。即席のポスターに仕立てて選挙掲示板に張って回ると、夕方には欠員一のまま無投票当選が決まった。

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 この時の掲示板を撮影したパネルが、富井の自宅に飾ってある。裏に「救世主 走一さん」。再選挙から村を救ったと、知人が贈ってくれた。

 うれしい贈り物ではあるが、複雑な心境でもある。議員は六十を過ぎてやるものではない、というのが持論。若いときほどの判断力や想像力はない。そもそも四十代後半で初出馬したのは、年寄りばかりの議会を変えようと思ったからだ。

 最近は、村の会合に出るたびに若い世代に出馬を促す。そのかいあってか、選挙を目指す若手の動きも見えてきた。「若い人がもっと出てこないと、議会に刺激がない」

 野沢温泉村に限った話ではなく、議員のなり手不足は全国的な課題となっている。議員選の無投票も珍しくない。四年前の統一地方選で、県内で補選を含めた二十八町村議選があったが、約半数の十三町村議選は無投票だった。

 「景気が悪くて自営の人が勤めに出るようになった。そうなれば、議員をやろうとはならない」。当時、村選管に在席し現在は委員長の河野義次(67)はこう推測する。

 市民にとって選挙戦は、候補者の意見を聞いて自らの代表を選ぶ機会。河野は「選挙にならないと、村民は候補者の主張が分からない。無投票と、主張を戦わせる選挙とは重みが違う」と話す。

 ただ、選挙戦になっても住民に不満が残る場合もあるようだ。野沢温泉村議選から一年後、今度は不思議な選挙が注目を集めた。舞台は県の南端の小さな村だった。

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 「選択の自由を奪った」

 平谷村の佐藤昭三(あきぞう)(69)は怒っていた。矛先は昨年四月に実施された二十年ぶりの村議選に向けられた。結論から言うと、佐藤は抗議の意味を込めて選挙を棄権した。選挙があったのに選択の自由が奪われたとは、一体どういうことだったのか。

 (文中敬称略)