岐阜

<ぎふ自治考>(3)合併10年(関市板取地区)

2015年3月28日

「犬の散歩コースにも空き家が目立つようになった」と話す長屋健太さん=関市板取地区で

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 朝六時半、山あいにエンジン音が響く。隣町のクリーニング工場までは車で四十分。早起きにも、山道にも、もう慣れた。非正規社員で働いて一年ちょっとになる。

 関市中心部の北西三十キロ、福井県境に接する旧板取村(現関市板取地区)。長屋健太(32)の古里だ。大学進学を機に一度は実家を出たが、就職活動が思うようにいかず、戻ってきた。

 とはいえ、古里に職があるのでもない。主要産業の林業は、外材に押されて元気がない。知人のつてで地元の鋳造工場に就職したが、体調を崩して退職。その後は食品工場やスーパーのアルバイトを転々とする。

 三十人近い同級生は、ほとんどが村を出た。昨夏、地元で成人式以来の同窓会があった。懐かしい顔が思い浮かんだが「みんな定職に就いてる。恥ずかしい」。出席は見送った。

 大学を卒業した二〇〇五年、板取村を含む旧武儀郡の五町村は関市と合併した。「看板から『村』の文字が消えた」。テレビで騒いでいた合併が古里にもやってきたのだと実感した。

 民泊体験を通じて板取の豊かな自然を満喫してもらう−。村は合併当初、観光産業を核にした地域の青写真を描いた。だが、村の元幹部は「この十年、参加者は思ったほど伸びなかった。描いた未来とはどんどんずれていってしまった」と振り返る。呼び物だったマウンテンバイクの世界大会も合併後、予算がつかず廃止された。

 昨年の市議会十二月定例会。村出身の議員らが、市に旧郡部へ政策的な配慮を促した中山間地域振興基本条例案を提出した。条例案はいったん可決されたが、市長が「市街地と郡部を二分しかねない」と議決のやり直しを求め、否決された。

 「旧市と旧郡部には格差がある。旧郡部に住んでいない者にはわからない」。不満は今も議員らにくすぶる。

 長屋自身、古里の変化を感じる。隣家は五年ほど前に空き家になった。小学生のころ、昔話を聞きに行った男性の家も廃虚と化した。「工場も何もない。合併しても、しなくても、村は過疎化する運命だったんじゃないか」。そんな風にすら考えてしまう。

 この数カ月、実は悩んでいる。古里を出ようか、出るまいか。名古屋であれば自分のやりたい仕事も見つかるんじゃないか。

 古里は好きだ。自然はあるし、人は温かい。でも、古里には仕事だけがない。

 =敬称略

 (織田龍穂)